toranekodoranekoのブログ

虎猫・銅鑼猫など様々なブロガーが参加しているサイトです。クリスチャン、社会保険労務士、多言語活動家、女性キャリア官僚、科学ライター、うるさいばあさんまで、多士済々。お楽しみください。

クリスチャンブロガーが綴るブログです。
明るい高齢化社会、病から得た様々な宝、世の中の動きへの警鐘(銅鑼)を鳴らすこともあります。
ときどき大阪弁も出てくる聖書物語もお楽しみに。
主催者のほか様々な協力者も登場します。

「内なる国際化・多文化共生に向けて」

この記録は、NPO法人多言語広場(ピアザ)CELULAS(セルラス)鈴木理事長の昨年9月28日渋谷区青少年対策地区委員会主催の講演の内容を、ニックとして特に印象深かった箇所を中心に纏めたものです。録音録画から逐語的に書き起こしたものではありません。
読み言葉としてのわかりやすさを考えて小見出しや配列なども工夫しています。


理事長の講演の内容は多岐にわたり、この取り纏めで尽くせるものではありません。少しでも皆様のご参考になるようにニックなりに纏めてみたものです。
講演の内容の一端を知っていただき、セルラスの活動への理解を深めていただく一助となれば幸いです。


1.日時:平成28年9月28日(水)午後7時~8時30分
2.場所:ケアコミニティ美竹の丘(渋谷区)
3.主催:渋谷区青少年対策地区委員会


【内容】(記録者にて適宜小見出しをつけ、特記事項を記録)


はじめに
日本の総人口は2013年から16年にかけて約58万人減少。2060年には現在の1億2,600万人から8,600万人になるとされる。
一方で在留外国人*は同じ期間に24万人増加。現在、230万人。(*3ヶ月以上の在留者)
日本は確実に多言語・多文化社会へと進んでいる。
日本人としてのアイデンティを保持しつつ、他の民族・文化との共存を図る必要がある。
一方で、ドイツメルケル首相の「多文化共生は全く失敗であった。」という深刻な反省。
多文化共生の難しさ、ほころびを直視しておく必要がある。
(記録者注)このメルケル首相の発言については、次の参考記事も参照ください。
 室橋祐貴
「メルケル首相『多文化主義は完全に失敗』ー今この発言に注目すべき理由」
 (2016年1月25日THE HUFFINGTONPOST



1.私の体験より
①ユーゴスラビアのアイスホッケーチームはなぜ敗れたか、その後、なぜ、強力チームに復活したか。
ユーゴスラビアはスロベニア、クロアチア、セルビア、ボヘミア、モンテネグロ、マケドニアの多民族国家。六つの民族四つの言語三つの宗教二つの文字を持つ。
 (記録者注)ユーゴスラビアの事情
以下のお話の1971年はちょうど「クロアチアの春」として知られる大規模なクロアチア人による抗議行動の時期。その後、1980年チトー大統領死亡後に民族独立、長年の紛争を経て、現在六つの共和国等になっている。参考記事:Wikipediaユーゴスラビア 外務省地域別インデックス欧州


1971年各民族から強豪選手を集めたアイスホッケーチームが来日。私(鈴木理事長)が、チームのお世話をした。バスの中では選手たちがムスッとして互いに話もしない状態。
強豪といわれたのに、日本チームと対戦して惨敗した。民族が違い、言葉が違いコミュニケーションができなかったのが敗因、と思われた。
翌1972年再来日。その時には破竹の勢いで快勝。
選手たちがよくコミュニケーションがとれていようにも思えたので、いったい何語で話しているのか聞いてみた。
「どんな言葉でもないですよ。その時のタイミングでその時の言葉が共通語になるんです。」
チームが同じ目的に向かう一体感の中で、チームの共通語を見つけて育ててきた、という。


②英語を話せる人はなぜ、孤立するのか。
ところで、英語をよく話せる人には共通の特徴があるような気がする。英語話者以外とは話そうとしない。「あなたは英語しゃべれないんですか。残念ですね。」それだけ言って交流が途絶えてしまう。


③幼少時、北海道の戦後の在日韓国・朝鮮人との元体験⇒私の決意。
  そして、焼肉屋の親父さんが私の先生となった。
戦後間もなくの北海道。母に連れられて歩いていると道端でたき火をしながら集まっている人がいる。「あの人たちのそばに行ってはだめよ。」と母に言われる。
朝鮮半島から強制連行で炭鉱などの労働に従事させられた人々だった。
自然に在日朝鮮人韓国人への偏見が生まれていった。
その偏見を打ち破らなければいけないと思った。その国の言葉を学んでみようと思った。
10分間ほどの韓国語のテープを入手して何回も聞いてみた。日本語の簡単な解説パンフレットはついていたが、本当にどんな内容なのか、こんな発音で本当に正しいのかどうかはよくわからない。悩んでいるうちに近所の焼肉屋の親父さんなら韓国語ができるのではないか、という話を聞きつけた。
お店に行ってビールで時間を潰しながら、客足の途絶えるのを待ち、親父さんに「韓国語を少し勉強している。聞いてもらえないか。」と頼んでみた。
覚えたままの発音で話すのを親父さんはじっと聞いてくれた。
「なかなかいいね」と言いながら、同じ内容を親父さんが韓国語で話してくれた。あまりにも美しい言葉に感激し、それから、その親父さんは私の韓国語の先生になった。


2.多言語を用いる2人の青年から学ぶ
我国の長年の英語教育は失敗の山、外国語への怨念の山を築いてきた。
言葉は言葉だけで成り立っているのではない。その先に人がいる。
先生や教科書との「違いを見つけて」是正して100点満点を取る、という姿勢ではなく、むしろ、「同じを見つける」べきだ。オランダなどではあらゆる言語を受容する、という姿勢を大切にしている。「受容」この感覚を大切にすべきだ。


私が出会った2人の青年のことをお話したい。
①インドのセティさん
当時29歳。技術研修で来日。
英語は自由に操れるので、英語で会話していたが、「君は何ヶ国ぐらいしゃべれるんですか?」と聞いてみた。セティさんは「その質問を聞かれるととても恥ずかしいんです。たった6か国語しかできません。」
聞いたこちらの方が恥ずかしくなった。
何語なのかと聞くと、インドの公用語・民族語など5ヶ国語と英語。
「どんなふうに使い分けるのですか?」と聞くと、「相手の人が話している言葉をそのまま使います。」
ラジャスタニを使うお店の人と話す時にはラジャスタニを使う。出身地の言葉なので、使うと喜ばれるから。マラティを使う親戚にはマラティで話す。サンスクリットを使う人が自宅に来れば家族全員でサンスクリット語を使う。英語を話す人がやってくれば自然に英語が出てくる。
「それで頭の中がごちゃごちゃにならないんですか。」と聞いても「別に。しばらく話していない言葉であっても、相手の人が話し出せば、自然にその言葉が出てきます。」
「じゃあ、一体どうやって勉強したんですか?」
サティさんはしばらく考えてから、「わかりません。英語は学校で勉強しましたが、学校で勉強する前から必要に応じて使ってきました。他の言葉については、学校で学んだわけではなく、自然に身につきました。」


②アフリカの34か国語を使う青年
「鈴木さん大変だ!34ヶ国語しゃべれる青年が来た。」と知り合いの方から(名古屋の研修センター?)連絡があったので会ってみた。
自分の国でお父さんと一緒に商売で国中を回っているうちに、部族の言葉は自然に覚え、ヨーロッパに留学してから欧米系の言葉は身についていった。
その青年とは英語で話していたが、そのうちに「はい」とか「いいえ」とか自然に日本語のような受け答えが出てくるので、「君はひょっとして日本語をしゃべれるんじゃないですか。」と日本語で聞いてみた。
その時の答えが忘れられない。
「いいえ、私なんかまだまだです。」と日本語で答えたのだ。
びっくりして、来日前に日本語を勉強したのかと聞いてみた。
全く勉強した事はない。羽田(成田?)にやってきて初めて日本語を聞いた。それはほんの2週間前だという。
インドの青年にしたのと同じ質問をしてみた。
「一体どうやって勉強したんですか?」
青年の答はインドの青年と同じだった。「わかりません。」
ただ、外国語の習得は沢山の言語が既に入っていると、次の新しい言語の習得にかかる時間がどんどん短縮されていくことに気づいた、と。まさしく、日本語を2週間で習得したことがその証拠である。
「34ヶ国語も頭に入っていたら、前に覚えた言葉を忘れてしまうのではないか。」そう聞いてみた。すると「相手が話してくれたら数分間でその言葉を思い出します。」という。
そこで私(鈴木)は気が付いた。学校の勉強ではなく、生活の中で耳から入ってきた言葉は身について失われることがないのだ、と。


3.そして見つけた多言語習得のコツ!これが世界に通じる力となる。
①「想像力と創造力」「音声」「必然性」(セルラス多言語活動三原則)
私たちの赤ちゃん研究のことを少しお話ししたい。
赤ちゃんはどのようにして言葉を習得していくのか。
例えば、「痛い」という言葉をどのように習得しているのか。
これは、例えばお父さんお母さんが何かにぶつかって「痛い」という。
その状況を見ながら、状況場面の中で動いている意味像に「想像力」を働かせ、その意味を見つけてゆく「創造力」。その状況場面の中で働く「音声」を聴き、言葉が働く「必然の場」を通じて意味化している。
このことは後でもう少し詳しくお話する。


②言語のメロディとリズム。ことばの器作り
そしてもう一つ。生まれた時からの赤ちゃんの発する音を聞いていると、言葉のメロディとリズムをまず、習得している、ということがわかった。
お兄ちゃんが話している「ノンタンノンタンブランコ乗せて」を真似するおチビちゃんのテープを聴いて欲しい。
「ノンタンノンタンブランコ乗せて。ダメダメだってこれから○○するんだもーん」の繰り返し。この「○○するんだもーん」の箇所が「立ち乗りするんだもーん」「片足乗りするんだもーん」というふうに変わっていく。
チビちゃんはお兄ちゃんの真似をして「ノンタンノンタンブランコ乗せて」までは言えるようになった。その後がわからない。
すると「あ、あ、あ、あ、もーん」とごまかしている。
思い立って、この「あ、あ、あ、あ、もーん」の時間を計測してみた。なんと、お兄ちゃんの「これから立ち乗りするんだもーん」とぴったり同じ時間だった。
すなわち、お兄ちゃんの話のメロディ とリズムを必死に追いかけている。これが言葉の器作りだ。その器をまず作ってから、そこに単語を当てはめていくのだ。
メロディとリズムをまず器として身につけていく。これが赤ちゃんが行っている自然な言葉の習得方法である。
皆さんの中で日本語をどのようにして習得したか、覚えておられる方はいらっしゃるか?
障害でもない限り、日本人が日本語の習得に失敗することは殆んどありえない。その取得の仕方は上で述べたようなプロセスをたどっている。言葉の器としてのメロディとリズムを体得し、状況の中に流れる音声を想像力と創造力を働かせ必然のものとして意味化しているのである。
日本の英語教育とは全く異なる。単語を覚えて組み合わせるのではない。単語は後からついてくるものだ。


③シャドウイング
以上のことは、私たちのグループで行っているシャドウイングという手法を体験していただいたらよくお分かりになると思う。通訳の勉強でも用いている手法だが、ネイティブ・スピーカーの話す音声にかぶせるようにして、影のように一緒に話す。一つ一つの言葉が聞き取れなくても、ともかく、あ、あ、うん、うん、というだけでいい。メロディとリズムを追いかけていく。そのうちにポツポツと聞き取れる音が出る。それを真似していく。
大切なのは聞き流すだけではなく、自分で声を出すこと。それぞれの言葉で使う筋肉が違う。自分で声を出して真似することで筋肉が鍛えられていく。
例えば、母音は日本語ならアエイオウの5つ。この大きく口を開いたアから口をすぼめたウまで。これは、万国共通。韓国語なら、このアからウまでに9つの母音が入る。韓国語のシャドウイングをすることで日本語にない残り4つの母音を話す筋肉が鍛えられる。


④前提として「人と向きあう」「人と一緒に」
これまで述べたことの前提となるのは人と向き合うこと。ことば(外国語)と向き合うのではない。米国人がいるとか、何語が話されている、という感覚を抜きにして、目の前にいる人と向き合うこと。
そのなかで、先にお話した「想像力と創造力」「音声」「必然性」が働くことになる。私たちは、これを「セルラス多言語活動三原則」と呼んでいる。


4.まとめ―世界に通ずる人材
カルロス・ゴーンさんの話されたことを紹介したい。
マスコミの取材で「世界に通ずる人材の特性は何か。」と聞かれて、次のように答えた。
「自分と違うものに興味を持ち、その違いから学び、より理解しようとする姿勢。これは、持って生まれたものではなく、体験を重ねて培われていく。」
私たちの意識の大きな改革が求められる。日本から世界へ。新たな共生社会を築くこと。
グローバル人材とは英語が話せる人のことではない。
(記録者注)カルロス・ゴーンさんについては、日経新聞「私の履歴書」で、ご自身の幼少時からこれまでを振り返る記事が今月初めから1か月の予定で連載されています。ぜひご一読ください。


ニック&アーニャ
                                      以上

公共交通機関の勇士たち

明けましておめでとうございます。
お正月はゆっくり過ごされているでしょうか。
私たちがゆっくり過ごしている間も、公共交通機関の皆さんは休むことなく業務に従事されています。
そのような方々について、私が体験した二つのケースをご紹介します。
いずれも私がメールで各機関のお問い合わせ窓口にご連絡したところ、心のこもった回答をいただきました。このような方々によって、私たちの日々の生活が支えられていることに改めて感謝いたします。


1.バスの運転手さんの毅然とした姿勢
【虎猫メール】
本日○時○分ごろ、A停留所からB駅行バスに乗車しました。
発車直後、年配の男性が乗車ドアをたたき、運転手さんがやむなくドアを開けて、男性が乗り込んでこられました。
運転手さんは男性に「お客さん。バスが発車しているときにドアをたたかないでください。お客様がけがをされるのですよ。」ときっぱり注意されていました。男性は知り合いの方が乗っているのを見て、発車直後なのに乗車ドアをたたいて乗り込んでこられたのです。
停車前に席を立つなど乗客の危険行為をよく見ます。貴社の運転手さんは、いつも毅然と注意されていて感心します。
今後とも毅然と注意する姿勢で臨んでいただくようお願い申し上げます。


【バス会社からのご回答骨子】
このたびは当社乗務員へのお褒めのお言葉をいただきまして誠にありがとうございます。
お申し出いただきました日時と場所より乗務員が特定いたしましたので、虎猫様からのメールの内容を伝え、更に精進するよう所長から激励いたしました。
まだまだ指導が行き届かずご迷惑をお掛けする乗務員もいるかとは思いますが、
お客様に安心してご乗車いただけるバスを目指し、これからも社員教育を徹底してまいります。
更にまた、今後もお気づきの点がございましたら、ご意見を賜りますようお願い申し上げます。このたびはご連絡いただきましてありがとうございました。



2.地下鉄でのちょっと恥ずかしい体験
【虎猫メール】
お礼を申し上げます。
○月○日○時ごろ、A線乗車中、B駅付近で急に嘔吐を催し、下車して駅のホームで吐いてしまいました。
後ろから駅員さんに声をかけていただきました。
「大丈夫ですか?少し駅で休んでいらっしゃいませんか?」
幸い気分が収まったので、次の電車で帰ることにしました。
すぐ後に別の駅員さんが来られて、おが屑をまいて嘔吐物を処理していただきました。
ご迷惑をおかけしたことをお詫びいたします。親切な対応にお礼を申し上げます。
なお、その後嘔吐は収まりましたが、今日、念のため医者に診てもらいました。お腹の風邪で一時的なもの、今は収まってお腹も正常に動いている、ということでした。ノロ・ウイルスなどではなかったようです。
家内に話したところ「息子も飲食店で働いており、お客様の吐しゃ物などの清掃をすることもありうる。他人ごとではない。駅にお詫びに伺ったほうがよいのでは」と言われました。
お詫びに伺うことは今できないので、大変失礼ですが、取り急ぎメールでお詫びお礼申し上げます。本当に有難うございました。


【営団地下鉄からのご回答骨子】
この度はお忙しい中、駅係員に対するお礼のお言葉を頂戴いたしましたことに心より御礼申し上げます。このようなお言葉をいただきますと、社員一同、より一層の励みとなります。
お問い合わせ内容をもと、担当の駅係員が判明し、所属長より称賛いたしました。本人は大変喜んでおり、今後の業務の励みにするとのことでございます。また、所属する他の社員にもお客様からのお問い合わせ内容を共有いたしました。
今後もこの気持ちを忘れることなく、お一人でも多くのお客様に安心してご利用いただける鉄道輸送サービスの提供により一層努力して参ります。
末筆となりますが、くれぐれもお体ご自愛くださいませ。


3.もう一言
お客様窓口には、クレームは沢山寄せられると思います。
でも、もし皆さんが少しでもよかったこと、感激したことがあったなら、ぜひ投稿されることをお勧めします。その際には、虎猫メールのように、該当の職員の方が特定できるように日時場所などの情報を添えることです。
お客様からのお礼ほど業務に従事する人を励ますものはありません。
私も銀行勤務時代に、お客様からの心のこもったお礼に感激したことを覚えております。


虎猫

ハラスメントは会社を蝕む恥ずべき愚行

組織は人で動いています。人間としての特性をよく理解してください。管理職は部下を人として尊重し、人として誇りを持って仕事ができるように大切に扱う必要があります。その対極の例が最近の電通の事件だと思います。
大切な若い社員を人として扱わなかった、個人の尊厳を踏みにじった。それが本質的な問題なのです。
ハラスメントというのは、社員個人の尊厳を損なう行為です。恥ずべき愚行です。ハラスメントという洒落た外国語から、ついつい軽く考えていませんか。
ハラスメントは、簡単に言えば、他の社員をからかい・嘲り・あるいは陰口の対象にすることです。社員がお互いを信頼・尊重する社風を蝕み、士気を損なっていきます。
ハラスメントの本質は、「社員相互の信頼・尊重の気風があるか、それを蝕む行動がないか」と見るべきものです。他の社員をからかい、あざけり、陰口を言う風土は、やがて顧客や社会を軽んずる姿勢(例えば、顧客を金儲けの手段として扱う風土・意識)をすら生じかねません。さらには不正の誘因にすらもなりかねないものです。
経営者は、このようなハラスメントの危険性をはっきり認識しておくべきです。



ハラスメントについては、法的にはこまごまとした定義があったり、対策について技術的・専門的な論点が様々指摘されています。それがともすると、人事部の誰かが取り組む専門的な問題との誤解を生んでいるのではないでしょうか。
社員一人一人を人として尊重する。まともな経営者ならば、必ず行うべきことです。それこそが一番的確なハラスメント対策です。
それが会社を明るく元気にし、社会から尊敬される会社へと変えていきます。


銅鑼猫
【2020年3月23日改定追記】
*このブログは先に公開した「ヤミ残業は会社を根本から腐らせる。」とともに、日本公認不正検査士協会から発行の教材「不祥事・不正は他人ごとではない」の掲載内容から作成したものです。詳細は次の通りです。



銅鑼猫

からかってはいけない。あざけってはいけない。

昔、景気の良いころ、私が勤めている会社では夏の夜に「園遊会」という催しがありました。役員さんから平社員まで一緒になっての立食パーティーです。飲み放題、食べ放題、平社員であっても役員さんと気兼ねなく話もできる会でした。
ステージでは、のど自慢大会。
腕に覚えのある人が自慢ののどを披露し、グランプリとか歌唱賞とか、いろいろな賞が出ました。
あるイケメンが得意の持ち歌を情感たっぷりに歌い、私はなかなかうまいな、と思ったのですが、もらった賞が「自己満足賞」。
会場はゲラゲラ大笑いです。
ところが、彼は「自信を無くした。」とぽつり。翌年から出場しないと言い出しました。
「情けない奴だな。ただのお遊びじゃないか。」これがまた、周囲のからかいの種になりました。


そして翌年の園遊会。
私がしっかり練習して自慢の歌を披露したのですが、もらった賞が「自己満足賞」。
そのときはじめて、前年の彼の気持ちがわかりました。
すごく傷つくのです。プライドがズタズタになるのです。


ある芸人さんの言葉です。「人を貶めて笑いを取ろうとしてはいけない。」
からかいは、ごく親しい仲で、お互いに合意のある中でこそ、交わりのスパイスとなります。衆人環視の中でのからかいは、罵倒される以上に人の心を傷つけます。
そういえば「課長にからかわれた。怒られるならまだいい、からかわれるのは耐えられない。」といって、女子社員が大泣きしたのを覚えています。


新年にもいろいろな催しがあるでしょう。幹事さんたちはどうか心してください。
ステージにのぼる人は、一生懸命練習して、心を込めて尽くそうとしているのです。
出演する人、労してくださる人をからかいの種にしてはいけません。


催しごとに限りません。職場でも学校でも、人をあざけったりからかったりしてはなりません。からかう方は軽い冗談のつもりでも、からかわれた方をひどく傷つけることになります。「ハラスメント」「いじめ」の問題はここにあります。
加害者は大きな罪の意識もないままに、被害者を耐え難い苦しみにも追い込みかねないのです。
ハラスメントの問題は稿を改めてもう少し詳しく述べたいと思います。


あざける者を主はあざけり、へりくだる者には恵みを授ける。
旧約聖書箴言第3章第34節


銅鑼猫

技師の遺言(原子力発電所の真実)

私が縁側で涼んでいると、裏の木戸を開けて引退した技師の中井さんがやってこられた。中井さんは私が幾度もお邪魔して現役時代のお話を伺った方だ。2年ほど前に亡くなっていたはずなのに?夢を見ているんだろうか。
でも、中井さんはいつものように、軽く手をあげておっしゃった。
「阿部さん。久しぶりだね。結婚が決まったそうじゃないか。おめでとう。」
「ありがとうございます。中井さんが遺されたノートを研究所の技師の方と一緒に解読しているうちに、その方と・・・。
さあ、これをどうぞ。フィアンセ(婚約者)のお母様が地元名産の『最中(もなか)』を送って下さったのです。ひとりでは食べきれないビッグサイズです。お好きなだけどうぞ。」
中井さんは縁側に腰掛け、冷茶を一口おいしそうに飲むと、『最中』の包みを開けて、4等分して一つを食べ始めた。そしてやおら語りだした。


「今日来たのは、やはりどうしてもあんたには話しかったからだ。原発のことだよ。」
やはりそうだったのか。あれから幾年たつのだろうか。収束のめども立たない。
むしろ隠れていた問題が次々明るみに出るような感じさえ受ける。


「まずは、なぜ私たちの国が原子力に傾注したのかだ。
原子力の圧倒的なエネルギーだよ。水力発電の『黒四ダム』は7年の難工事で171名もの殉職者を出した。得られたのは約34万キロワット(kW)にすぎない。
福島第1原発は1号機だけで46万kW、2号機から5号機はそれぞれ78万kW、6号機は110万kWだ。合計すれば468万kW。私たちはこの圧倒的なエネルギーに驚き衝撃を受け、国中に原発を造り続けたのだ。」


「そこでね、まず、電気を発生させる仕組みを確認しておこう。
・水力:ダムにためた水の位置エネルギーを運動エネルギーに変換してタービンを回す。仕組みは単純だが、大きなエネルギーを取り出すには、あんな巨大なダムが必要なのだ。環境の問題から、もはや我国では大規模水力発電の立地はないとされる。
・火力・原子力:単純に言えば、お湯を沸かしてタービンを回す仕組みだ。化石燃料を燃やすのか、ウランの核分裂反応を用いるかの違いに過ぎない。核分裂反応は、自然の中で物質として安定していた秩序を強引に解き放って、エネルギーを得る。リスクが大きいことは想像できるだろう。」


「原発の問題をいくつかにわけて説明しよう。
一つ目はコントロールの難しさだ。
水力は蛇口を締めればすぐ止まる。火力は火を消せば数十分程度で止まる。
原子力は違う。熱が一定の温度を超えると核分裂がおこり、その連鎖反応は止まらない。やかん(原子炉)に入れた燃料は、水を沸騰させるだけでなく、常時適切にコントロールしていないと、やかんを熱で破って外部に流出していく(メルトダウン)。
原子力はこの圧倒的エネルギーをどのようにコントロールするかの戦いなのだ。止めるには冷温停止しかない。
福島では、8つの冷温停止装置の内、7つが電力で動く装置だったため停電で稼働せず、残りひとつは職員が使用方法を知らなかったために結局使用できなかった。
メルトダウンは起こしたがとりあえず止まったのは、幸運な偶然に過ぎない。人間がコントロールした結果ではない。いまだに原子炉内の状態がどうなっているかさえ、わかっていないのだ。」


「二つ目の問題は、事故発生時の危険だ。
原発については、事故発生時のリスクがほかの発電方式と根本的に異なる。影響の範囲が急速にしかも制御できないほど広範にひろがる。
人々が着のみ着のまま避難を余儀なくされた。見当違いな方向へ避難しては別の場所へ動くことさえあった。動かすことのできない病人も無理に動かすしかなかった。避難先で、環境変化に耐えられず亡くなったり(原発関連死)、病が重くなる方も続出した。
 家畜などは打ち棄てるしかなく、現地で死に絶えて白骨化している。一時帰宅した人々が家畜たちの変わり果てた姿を見て、原発反対に動くのは当然のことだろう。
さらに将来にわたる環境への影響、例えば子どもたちなどへの影響はどのようになるのか。甲状腺がんなどの発生が懸念されている。」


「そして原発については大きな事実誤認が二つまかり通っている。
一つは『原発はCO2をださないから地球温暖化対策の切り札になる、地球環境に優しい-』というものだ。
原発は、膨大な核分裂エネルギーを用いてお湯を沸かすものだ。技術的な制約から熱効率が悪い。100万キロワット時の発電のさいには、その倍の200万キロワット時もの排熱を発生させ、これを海に流すなどで、地球を直接温暖化している。さらに高レベル放射性廃棄物という、危険な副産物が加わる。
これに対して火力は、技術進歩で熱効率がよくなっており、100万キロワット時の発電のさいの排熱は同量の100万キロワット時に留まっている。CO2排出量こそ毎時4000トン弱だが、全体を比較すれば、いずれが地球環境に優しいのだろうか。」


「原発についてはもう一つの大きな事実誤認は、原発がコスト安、というものだ。いま明らかになってきている様々な費用(たとえば除染費用、汚染水対策)などを精査していけば、現在のコスト見積の問題は明らかになっていくだろう。
逆に火力については、シェールガスなどの新しいエネルギー源をどう活用するか、などのコスト減の道が検討されているではないか。
なによりも原発事故発生時の危険は、人の生死にすら直接かかわる問題だ。たとえコストが安かったとしても、選択すべき道かどうか、慎重に考えないといけない。
もちろん、火力でも水力でも人命の危険はある。但し、火力・水力については人命の危険は設置工事や原料採掘・輸送や発電に携わるプロフェッショナルにほぼ限定され、制御は不可能とは言えない。
原発のように、予想もつかないときに広範な人々に緊急に危険が及ぶものではない。」


私はただ圧倒された。
中井さんはお茶を一口飲み、言葉を継いだ。
「技師にとって本当に大切なことが何かわかるかね。技師に限らずおよそプロと言われる人にとって本当に大切なことが何なのか?」
「・・?」
「それはね、自分が向き合う対象への畏れの気持ちだよ。そして感謝の気持ちだ。
技師なら自分の技術ですべてコントロールできるなどと考えてはいけない。科学者なら自然への畏れ、畏敬を忘れてはならない。
私たちが地球を作ったのではないし、私たちが地球を支配しているのでもない。
私たちは、ひとときこの地球に住むことを許されている存在にすぎない。
住まわせていただいていることへの感謝があれば、畏れの気持ちがでてくるはずだ。
いま私たちがすべきは、この過酷事故の真実、その後の私たちの行動を隠すことなく世界に示すことだ。そこから得られる教訓を全世界に発信すべきだ。
そしてこの事故から勇気をもって立ちあがっていくこの国と国民の姿を世界に示すことだ。」
中井さんの話はようやく終わった。
私はやっと口を開くことができた。
「中井さん。また来てくださいますか。」
「何時でも呼んでおくれ。まだまだ落ち着いて眠ることは出来そうもないからね。」
そう言うと、中井さんの姿はふっと消えていた。


そしてお皿には、あのビッグ最中の包装紙だけが残っていた。
そうだ、中井さんは筋金入りの甘党だった。
「中井さん。また来てくださいね、おいしいお茶とお茶菓子を用意しておきますから。」
そう呼びかけてみた。裏の木戸がカタンとなったように思った。


阿部吉江


(注)このブログ「技師の遺言」は、東京カベナント教会ブログ「重荷をおろして」に2013年10月に投稿していたものですが、その後も原子力発電所の状況は一向に変わらないようです。中井さんが業を煮やして近々またいらっしゃるような気がしてなりません。
2013年に中井さんに教えていただいた文献は、いずれも大切なものだと思います。以下に紹介します。


【主な参考文献】
嶋田隆一監修・佐藤義久著 「電気のしくみ―発電・送電・電力システム
 (原発と地球環境の問題については、この本の159頁、166頁参照)

電気のしくみ 発電・送電・電力システム
電気のしくみ 発電・送電・電力システム
丸善出版



 (原発と地球環境の問題については、この本の159頁、166頁参照)


安富歩著 「原発危機と『東大話法』―傍観者の論理・欺瞞の言語―」

原発危機と「東大話法」―傍観者の論理・欺瞞の言語―
原発危機と「東大話法」―傍観者の論理・欺瞞の言語―
明石書店



広河 隆一 「福島 原発と人びと」

福島 原発と人びと (岩波新書)
福島 原発と人びと (岩波新書)
岩波書店


コリーヌ・ルパージュ著
「原発大国の真実: 福島・フランス・ヨーロッパ ポスト原発社会へ向けて

原発大国の真実―福島、フランス、ヨーロッパ、ポスト原発社会へ
原発大国の真実―福島、フランス、ヨーロッパ、ポスト原発社会へ
長崎出版




金子勝著「原発は火力より高い」

原発は火力より高い (岩波ブックレット)
原発は火力より高い (岩波ブックレット)
岩波書店


中井さんと阿部さんの出会いについてはこのブログをご参照ください。