toranekodoranekoのブログ

クリスチャンブロガーが綴るブログです。
明るい高齢化社会、病から得た様々な宝、世の中の動きへの警鐘(銅鑼)を鳴らすこともあります。
ときどき大阪弁も出てくる聖書物語もお楽しみに。
主催者のほか様々な協力者も登場します。

赤ちゃんを守る「抱っこ・キッス」システム(航空・防衛産業の技術)

 以前に入院していた時、病院で配られていた雑誌にこんな記事がありました。抜粋してご紹介します。
反田篤志「ミス防ぐシステムを 他産業から学び構築(内側から見た米国医療2)」
(ロハスメディカル2012年12月号)


 アメリカの病院の産婦人科で、赤ちゃんの誘拐や取り違えを防ぐための新しいシステムが導入されました。Hugs & Kisses(「抱っこ」と「キッス」)システムと言います。
 赤ちゃんとお母さんに同一識別番号のIDチップが入った「タグ」を身に着けてもらいます。赤ちゃんの足首には「Hugs(抱っこ)タグ」、お母さんの手首には「Kisses(キッス)タグ」です。Hugsが付けられた赤ちゃんはコンピューターで位置情報が管理され、例えば赤ちゃんが新生児室から出されると、自動でアラームが鳴ります。
 赤ちゃんを新生児室から動かせるのは、対応するKissesを持ったお母さんだけです。お母さんが赤ちゃんを抱っこして産婦人科病棟内を移動するなどは自由にできます。しかし、お母さんでも病院に無断で赤ちゃんを産婦人科病棟から連れ出すとアラームが鳴り、他の病棟や階段への扉が自動でロックされるなど、二重三重の防護壁が張られるようになっています。


 病院など医療業界では「ミスは人間の注意で防げる」「不注意は悪」という考え方が強く、問題が起これば「ミスをした本人が悪い」といわれるのが普通でした。
 この考え方を変えたのは、航空業界や防衛業界など他産業で働いた人です。このような人々の目には医療業界がとてもミスの発生しやすい環境と見えたようです。Hugs & Kissesなどのミス防止技術や理論の多くは航空業界や防衛業界などで発達したものです。
ミスが人の生死に直接かかわるリスクの高さは、医療業界でも航空業界、防衛業界でも変わりありません。他産業で発達した技術や理論を上手に生かし、ミスの起こらない仕組みを作り上げることが強く求められています。


 虎猫の感想を一言添えます。
この記事は医療業界について取り上げたものですが、どんな業界でも変わりはありません。人間は過ちを犯します。過ちの原因を現場にいた人の「不注意・怠慢・不届き」等と責め立てるだけでは問題は解決しません。一人の人が過ちを犯しただけで問題が発生するなら、それはシステムの不備なのです。
 ひとりのミス・過ちが大事に至らないように「過ちを犯さない仕組み」を構築したのが、このHugs & Kissesシステムでしょう。さらに「過ちを早期に発見する仕組み」「発見した過ちを早期に是正するシステム」の3本柱がシステム構築の原則とされています。
人の弱さを知りましょう。その弱さをカバーするのは人の知恵です。それでも過ちが防げなければ、過ちを赦すのは神です。


「大祭司は自分自身も弱さを身にまとっているので、無知で迷っている人々に優しく接することができます。」(新約聖書ヘブル人への手紙第5章第2節:新改訳2017版)


そのほか参考文献
畑村洋太郎「失敗学のすすめ」





【注】2013年6月東京カベナント教会ブログ「重荷をおろして」に掲載していた記事です。様々な事故や不祥事の検討をしている中で思い出したので投稿しました。


虎猫


乾いたタオルは絞れない。馬車馬は崖から落ちる。

 日本企業はなぜ迷走しているのか。
理由が二つあります。お2人の方の議論を紹介します。
私なりに印象的なところを取り出して配列してみました。
ぜひ、元の論説に目を通していただくことをお勧めします。
 終戦記念日が近いこの日、お二人の議論を読み返してみると、日本の敗北の理由が分かるような気がして、背筋が寒くなります。
そして、いま、あいも変わらず脇目も振らず働くことを美徳と考えて邁進するこの国の勇士たちがそのご家族も含めて、実は破滅にまっしぐらに進んでいる、そのようなイメージが頭の中をよぎります。
様々な不正・不祥事が発覚しています。その原因の一つも、この国の人々の的外れな真面目さ、狭量さにあるのではないでしょうか。
もう一度、立ち止まって考えてみませんか?
もう一度、私たちの生き方働き方を見直してみませんか?
少し違った角度から見直せば、きっと新しい道が開けます。


1.乾いたタオルは絞れない。
東京大学東洋文化研究所教授 安冨歩さん
出所:BizHint
「意味のあること」に手を出せない日本企業【東京大学東洋文化研究所教授 安冨歩さん】


①乾いたタオルは絞れない。
「乾いたタオルからは水は出ないのに、出ると信じて絞りまくっていることです。水を出したいのなら、タオルを濡らすか、濡れたタオルを探さなければならない。そのために 一番手っ取り早いのは、これまで組織にいた人材とは違う人を入れる ということ、すなわちダイバーシティです。日本語もろくにできない海外の人を採用してみれば、自分たちが当たり前と思っていることが当たり前でないことが分かりますよね。」


②効率を追求しすぎた日本企業
「ドラッカーは、効率性は副次的な概念でしかなく、 重要なのはEffectiveであること と言っています。Effectiveは翻訳が難しい言葉ですが、私は 有効性、つまり『意味のあること』と捉えています 。効率から出てくるのが利益。意味のあることから出てくるのは事業。つまり、意味のあることをすることが事業を展開するための重要な要素であり、そのうえで効率を求めないとダメということなんです」
「日本人には、たくさんの機械を一糸乱さずに動かすとか、命を懸けてもビス1本を守り抜くといった美徳が備わっています。自分に与えられた役割を責任もって全うする人たちが集団でいたので、非常に競争力が高かった。でもこの 美徳は、Effectiveness――意味のあることではない 。意味のあることか否かを考える必要がないぐらいに効率がモノをいう時代だったから成功できただけです。言い方を変えれば、仕事の意味などを考えずに自己犠牲をしてラインを守れば給料が倍になる。すべての企業や組織は、こうやって動いていたんですね」
「東西の冷戦時代、日本が世界中に商品を送出しなければ、アメリカはソ連に負けていた可能性もあります。日本は、この時代にあまりにも成功してしまったから、効率性が最重要課題になってしまった。みんなで右向け右。 余計なことは考えずに手を動かすというのが、私たちの精神そのものになってしまった のです」


こういった世の中においては、多様性は必要ない。むしろ、害悪でさえあるのです。


「右といえば右を向く人間ばかりをたくさん集めれば、効率は良くなります。効率を追求するためには、ダイバーシティは排除すべき。だからこれまで、多様性やダイバーシティは俎上に上がってこなかったのです」


2.馬車馬は崖から落ちる
エム・アイ・アソシエイツ株式会社 代表取締役
松丘 啓司さん
出所ヒューマンキャピタルオンライン
成果主義人事の限界シリーズより


「アジャイルな人事変革の必要性」より
「成果主義人事は中央集権による業績管理を徹底させるための制度でした。全社目標の達成を最重要課題として組織を動かすために、個人に目標をブレークダウンして、人事評価の面から外発的に動機付ける制度が成果主義人事であったといえます。そのため、制度は法律のように精緻でなければならず、その運用は厳格なものでなければなりませんでした。人事はあたかも「制度の番人」のように、管理・統制を行う役割を担っていたのです。 しかし、管理・統制からはイノベーションは生まれません。」


「VUCAの時代と成果主義人事のミスマッチ」より
「論理的な分析ばかりではなく、こんなサービスがあったら便利そうだとか、こんなサービスが欲しいとかいった、どちらかというと感覚的な理由からでも、小さく始めてみて、ユーザーの反応を機敏に取り入れながら育てていくことが、逆にビジネスを成功させるための方法論になりつつあります。また、そのようなアプローチを可能にするためには、現場においてトライアンドエラーが奨励される環境が必要とされるのです。」


銅鑼猫



それでも、日本人は「戦争」を選んだ(再掲)

 東京大学の現代史の先生が歴史研究会の高校生を対象に5日間にわたった講義を本にされたものです。ぜひ多くの方に読んでいただきたいと思います。
この国の過去を振り返り、未来を考えるうえで、貴重な示唆があると思います。


 一言だけ、この本で大変気になる箇所がありました。
「日本軍ほど自国の軍人を大切にしない軍隊はなかった。」という箇所です。
食料の補給も考えずに兵士を戦線に送り、戦死者よりも餓死者のほうがはるかに多かったところが多数ある。
このような日本軍の体質は、国民の生活にも及んでいた。敗戦間近の国民の摂取カロリーは戦前の6割にまで落ちていたとされます。
ドイツはどうか。国内が徹底的に破壊されていたのに、国民への食糧配給は絶対に減らさないように農業生産に注力し、敗戦前のエネルギー消費量は戦前を上回っていたそうです。


 これは、戦時中だけの問題ではありません。あの震災・津波・原子力発電所の事故の後のこの国の指導者たちにもしばしばみられる問題と思われます。
例えば消防、自衛隊、原発の作業員など最前線の人々が、また被災した人々が懸命に災害に向き合っているときに、必要な支援をどこまで真剣に考えてきたでしょうか。安っぽい精神論を持ち出してその場を糊塗してはいなかったでしょうか。


 勇士たちをないがしろにする国家は滅びます。国民を大事にしない指導者はその地位を追われます。この国の中枢にある人々は肝に銘ずるべきであり、私たちひとりひとりが心すべきと思います。


加藤陽子 それでも、日本人は「戦争」を選んだ(2009年7月 朝日出版社)




知恵のある者の叱責を聞くのは、愚かな者の歌を聞くのにまさる。
(旧約聖書「伝道者の書」第7章第5節:新改訳2017版)


【注】
2011年9月に東京カベナント教会ブログ「重荷をおろして」に投稿し、昨年7月にも本ブログに投稿していた記事です。
終戦記念日が近づくいま、改めて投稿いたしました。

広島とグラウンド・ゼロ(再掲)

私がはじめて広島平和記念公園を訪れたのは、もう30年ほども前でしょうか。
そこには、こんな碑がありました。
「安らかに眠ってください。
過ちは繰り返しませぬから」


かつて、この碑文をめぐって「主語がない。誰が過ちを犯したのか、誰が誤っているのかをはっきりさせるべきだ。」という議論があったのを思い出しました。


 はじめてこの碑の前に立ったときに、なぜ主語がないのか、はっきりとわかりました。
この碑の前に立つ一人一人が、自ら「過ちは繰り返しません。」と誓わなければならない、だから主語が書かれていないのです。


 私が30年前のこのことを思い出したのは、堤未果さんの「グラウンド・ゼロがくれた希望」(扶桑社文庫版 以下「本書」といいます)という本を読んだからです。
アメリカに憧れて留学し、国連、アムネスティインターナショナルを経て米国野村證券に勤務中に、堤さんはあの9.11テロに遭遇します。勤務先のビルはあの世界貿易センタービルの隣でした。
9.11の後、アメリカには二つの現象が現れました。
「惨事の後、人々は我先にと献血車の前に列をなし、危険も顧みずに救出隊に加わった。・・人種・宗教・肌の色に関係なく、一人の人間であるというだけで平等に誇りを持って幸福に生きられるという夢。ニューヨーカーを一つにしたものは、まさにこのアメリカン・スピリットだった。・・人間が太古から繰り返してきた過ちに終止符を打つものの存在もここに隠されているように思う。」(本書184~185頁より。「私の視点」/朝日新聞2001年9月27日に堤さんが寄稿されたものです)
一方では、町中に星条旗があふれ、家々の窓から「偉大なるアメリカ」のテーマが大音量で流れ、大統領がこぶしを振り上げて「正義は必ず悪を叩き潰す」と演説し、あの戦争へと突き進んでいったのもアメリカです。


 堤さんは帰国します。来日した平和活動家の通訳をする機会に恵まれます。米国の退役軍人の平和活動家が来日し、酒田市で講演するのを通訳します。
その退役軍人は講演の途中で急に椅子から立ち上がり「僕には一つ夢がありました。」と突然話し始めます。
「いつか日本に行く機会があったらどうしてもあることを伝えたかったのです。・・
アメリカ人として、そしてかつて軍人だった人間として言います。僕の国の軍隊が、あなた方の国に原子爆弾を落としたことを、どうか許してください。」
聴衆の中のひとりの年老いた男性が手を上げ、マイクを渡されると静かに話し始めます。
「わしは若い頃に戦争を体験したものですが、アメリカの人に謝られたのは初めてです。胸がいっぱいで、なんて言っていいかわかりませんです。ただ、今日まで長生きして本当によかった。わしは・・・」
そこまで言って声を震わせると、彼はうつむいてしまいます。会場のあちこちからすすり泣きが聞こえだしました。(本書204~205頁より)


あの広島の碑文に、本書で語られた9.11グラウンド・ゼロの後に、そしていま、3.11の後の日本に、多くの希望を見出すことができます。


本書の中の言葉をもうひとつ紹介して、この小文を終えます。
「非人間的な力を打ち負かすものはただ一つ、より人間的になることだ。」(本書230頁)


【参考】
①広島市のホームページには上記の碑文の公式の解説が掲載されています。
原爆死没者慰霊碑には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれていますが、どういう意味ですか?
A(抜粋)この碑文の趣旨は、原子爆弾の犠牲者は、単に一国一民族の犠牲者ではなく、人類全体の平和のいしずえとなって祀られており、その原爆の犠牲者に対して反核の平和を誓うのは、全世界の人々でなくてはならないというものです。


堤未果さんの公式ウェブサイト
 「グラウンド・ゼロがくれた希望」などの著作も紹介されています。


「それだけではなく、苦難さえも喜んでいます。
それは苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです。
この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」

(新約聖書ローマ人への手紙第5章5~6節:新改訳2017版)


【注】
2012年10月に東京カベナント教会ブログ「重荷をおろして」に投稿し、昨年7月にも本ブログに投稿していた記事です。
8月6日広島、9日長崎を迎えるこの時に改めて投稿いたしました。


虎猫

「高度プロフェッショナル制度」を改めて考え直す。

 働き方改革の中で高度プロフェッショナル制度につき細部検討がされている。
シンプルに考えるべきだ。「過労死・過労自殺を起こした会社には認めない。高プロ導入後に過労死・過労自殺が発生したら、制度を廃止し過去に遡って対象者全員に割増賃金を支払う。」
 高プロが柔軟な働き方で生産性向上に役立つ、というのは可能性に過ぎない。過労死・過労自殺が発生する会社は、労使の自治に任せていては労働者の生命すら守れない、ということではないか。現実に労働者の生命が失われるのを見ながら「柔軟な働き方」など唱えるのは笑止千万だ。
 罰則つき時間外上限規制の導入は、国家として命を失うような働き方は許さない、もはや労使の自治に任せることはできない、という意味である。高プロはなおさらのこと、導入が許されるのは、労使とも高い倫理観を持ち、労働者の生命と健康を守る責任を果たせる会社に限るべきだ。
 思うに、人の生命と健康を守る厳しい規制こそがイノベーションを生む。我国の自動車産業が厳しい環境規制に真摯に取り組み世界に冠たる地位を築いたのが好例ではないか。
逆に姑息な規制逃れの道を探るものに未来はない。淘汰されるだけだと知るべきである。


【注】7月13日に朝日新聞「声」欄に投稿してみましたが、ボツになったようです。
以前からも様々申し上げてきている内容ですが、500字に纏めたもので、参考までにお届けします。


銅鑼猫