toranekodoranekoのブログ

虎猫・銅鑼猫など様々なブロガーが参加しているサイトです。クリスチャン、社会保険労務士、多言語活動家、女性キャリア官僚、科学ライター、うるさいばあさんまで、多士済々。お楽しみください。

クリスチャンブロガーが綴るブログです。
明るい高齢化社会、病から得た様々な宝、世の中の動きへの警鐘(銅鑼)を鳴らすこともあります。
ときどき大阪弁も出てくる聖書物語もお楽しみに。
主催者のほか様々な協力者も登場します。

中央線の勇士たち(「権限なきリーダーシップ」の実例)

朝の9時。荻窪から中央線に乗りました。御茶ノ水で仕事の打合せをするためです。
電車はかなり混んでおり、私も通路近く何とか吊り革にぶら下がって立っていました。
突然、近くの若い女性がうずくまりました。そのまま立ち上がれないようでした。少しためらいましたが、女性の側にひざまずいて声をかけました。「次の駅で降りますか。」女性は首を振って「いえ、降りたら会社に遅れます。」
でも、うずくまったままです。もう一度声をかけました。「席に座りますか?」女性はうなずきました。
私は立ち上がって、周りの人に大きな声で呼びかけました。「お加減の悪い方がいらっしゃいます!どなたか席を譲ってあげていただけませんか!」
座席に座っていた数人の方が一斉に立ち上がり、席を譲ろうとします。その中の若い男性が最終的に立ち上がり、周りの人も席を替わって、入口近くの席を空けていただきました。私は女性の手を引いて、席に案内しました。1人では席まで行けないようにも思えたからです。
その後、女性の様子を時々見ていました。万一、さらに容態が悪くなることがないか、と心配したからです。隣の席の中年の女性も心配そうに声をかけていらっしゃいました。幸い、元気を取り戻されたようで、御茶ノ水で降りるときに私が会釈すると、会釈を返していただきました。


不思議だったのは、この一連の動作を、躊躇いもなく、日常の動作のようにできたことです。こんな時、後で心臓がドキドキするかと思ったのですが、それもありません。
後で考えてみました。
自分自身がここ数年で3度ほど緊急入院しました。具合が悪い時に周りの人の手助けが必要なことがあります。その経験から、具合の悪い人の気持ちを理解し、躊躇せずに必要な行動ができるように、鍛えられてきたのではないか。
そしてもうひとつ、この国では、1人が声をかければ周りの人は必ず動きます。女性の様子を見ていた人は沢山いたはずです。心配してどうしようかと思っておられたのです。誰かがひと声かけるだけで、一斉に行動できる心の準備はできているのです。私はきっかけを作っただけなのです。


私には夢があります。あの時の私の行動、周りの人々の思いやりが語り伝えられ、同じような時にためらわずに行動する勇士たちが次々と起こされることを。


「受けるよりも与えるほうが幸いである」 (新約聖書使徒行伝20章35節より)


【注】2016年11月に東京カベナント教会ブログ「重荷をおろして」に投稿していた記事です。先日投稿した「権限なきリーダーシップ」の好例と思いましたので、改めて投稿してみました。

虎猫

介護老人体験記

三毛猫の三毛「虎猫おじさん、入院したんだって?もう大丈夫なの?」
虎猫「ありがとう。お陰様で何とか治ったよ。危うくICUに入れられるところだったんだ。」
三毛「え!ICU?キャー、素敵!」
虎「?」
三毛「だってICUでしょ。国際基督教大学でしょ。佳子様に会えるかもしれないじゃん!」
虎「それはICU違い!『国際基督教大学(International Christian University)』じゃなくて、おじさんが入れられそうだったのは『集中治療室(Intensive Care Unit)』だよ。」
三毛「なんだ、つまんない。」
虎「三毛ちゃんにとってはつまらないかもしれないけれど、おじさんは大変だったんだぞ。」
三毛「どんなふうに大変だったの。お医者さんや看護師さんに徹底的にお世話されて、上げ膳据え膳、左団扇の別荘生活じゃないの?」
虎「とんでもない。いいかい三毛ちゃん。三毛ちゃんはおしっこやウンチはトイレでするかい、それともベッドでするかい?」
三毛「ちょっと、おじさん、レディに向かって何言うのよ!トイレでするに決まってます!」
虎「おじさんは立つことも歩くこともできなかったんだ。おしっこは管を通され、ウンチは看護師さんに頼んでおまるを当ててもらうんだ。」
三毛「や、ヤダ、最低!なによ、それ!おじさん本当にそんなになっちゃったの?」
虎「そうだよ。寝たきりで介護を受けるお年寄りはこんな感じなのか、ひしひしとわかったよ。看護師さんは嫌な顔一つ見せずにおまるをあててくれたけれど、早く自分でトイレに行きたい、こんな生活早く終えたい、と思ったよ。これがもし一生続くと思ったら、とても耐えられない、そう思った。」
三毛「・・・」
虎「きっと神様は介護を受ける人の気持ちがわかるように、こんな試練をくださったのかもしれない。そう考えるようにしたよ。」
三毛「う~む・・おじさんって、すごい・・」
虎「晴れて車椅子でトイレに行けた時のうれしさ、やがて、一人で看護師さんの助けを借りずにトイレに行けた時の感激、わかるかい?」
三毛「わかんない、簡単にわかるものじゃなさそう。」
虎「ご飯のことも話しておこう。」
三毛「おじさんって、大食漢で有名よ。いつも教会のランチをおかわりしているじゃない。」
虎「その大食漢が、ご飯など全く食べられなかった。点滴で栄養を取るんだ。」
三毛「時にはダイエットもいいものよ」
虎「勝手なことを言うね。なんとか数日で食事ができるようになった。たぶん食べられないだろうな、と思っていたよ。
でも出てきたのは、ご飯は全粥だったけれど、おかずは普通の物だった。ナスのしぎやき(ナスの味噌田楽)、そして焼き魚。そのしぎやきを食べたとたん、こんなおいしいものがある!と感激したね。ところが看護師さんがやってきて『血液中の酸素量が不足しています。食事をすると一時的に呼吸を止めているんですよ。普段ならなんでもないでしょうけれど、一口食べたら、2~3回深呼吸してください。酸素の量も増やしておきます。』と言われたんだ。」
三毛「何よ、おじさん。酸素吸入までしていたの?」
虎「そうだよ。鼻にチューブを当てて、酸素を補っていたんだ。ご飯のときは一口食べたら2~3回深呼吸、酸素量もワンランクアップ、自分でも酸素モニターを見てチェックしながら、少しずつ食べたんだよ。」
三毛「そんなんじゃ、味もわからないでしょう。」
虎「いや、ちゃんとわかったよ。この一口、一口が命のもとになるんだ、大切に大切に味わって食べたから、とてもおいしかったよ。」
虎「やがて車椅子に座って起きていることができるようになった。なにしろ、1週間寝たきりだったからね。だいぶ回復して、看護師さんに付き添っていただいて歩行訓練を始めた。そんなふうにして一歩一歩回復していったんだよ。」
三毛「でもよかった。ちゃんと治ったんだね。」
虎「治りだすと早かったよ。今日からおしっこの管は取りましょう、今日から酸素もいりません、今日から点滴は不要です。そして、挙句の果てに『明日退院していただいていいですよ。』そこまで準備はできなかったので、『後3日ほど待ってください。』と頼んだんだ。それくらいゆっくりしていてよかったと思うよ。その3日でさらに歩行訓練をして、日常生活復帰に支障がないようにできたんだ。」
三毛「大変な体験だったのね。でも、早く治ってよかった。」
虎「決め手は10月18日のマウント・オリーブ・ミニストリーズ代表の中野雄一郎先生のメッセージだった。インターネット礼拝でお話を伺っていたんだ。その中で先生がおっしゃっていたよ。
『病にかかると、「神様、早く治してください。」と祈りがちですが、これは、自分の目が病に向いてしまっているのです。
病の回復の早い人には共通の特徴があります。
「治ったら何をするか」が分かっていること、即ち病後に目を向けていることです。』
そうだ、自分にはやるべきことがあるんだ!そう思った。
『退院していいですよ』と言われたのはその翌日だったんだ。」


三毛「おじさん。佳子様には会えなかったけれど、神様に会えたのね。」
虎「・・・・・(涙)」


2015年11月、急な病から幸いに退院できた時に東京カベナント教会ブログ「重荷をおろして」に投稿した記事です。
1年以上経過し、幸い健康が守られている今、改めて投稿してみました。

君は星を見ているのか

あるアメリカの女性が軍人のご主人と共に、インディアン居留地近くの任地にやってきました。
都会を遠く離れ、話し相手もありません。
女性はお父様に「こんなところは寂しくて嫌です、早く都会に帰りたい。」と手紙を書きました。
お父様から返事がきました。こう書かれていました。
「二人の囚人が鉄格子から外を眺めていた。
一人は泥を見ていた。一人は星を見ていた。」
Two men look out through the same bars: one sees the mud, and one the stars.


女性は、はっと胸を衝かれました。
次の日から、女性はインディアンの家を訪ねて、伝統の織物を教えてもらうようになりました。やがてその伝統織物を各地に伝える活動を始めるようになったのです。


昔読んだ本の一節です。
突然の病で入院しました。その病院のベッドでふと思い出しました。
心に誓いました。
自分は星を見て生きる。


「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」(ピリピ人への手紙第4章第4節)


【注】
2015年10月急に入院したときに、東京カベナント教会のブログ「重荷をおろして」に投稿した記事です。幸いに無事退院し、今は健康に過ごしています。そのときのことを忘れないように、改めて投稿してみました。


①アメリカの女性の話は記憶で書いています。出典をご存知の方はぜひ教えてください。
②二人の囚人の名言の出所
フレデリック・ラングブリッジ(19~20世紀アイルランドの作家、1849~1923)
『不滅の詩』
「ジョジョの奇妙な冒険」で引用されていることで有名な言葉だそうです。
ご存知の方も多いのではないでしょうか。

女性社員を「ちゃん」づけで呼んではいけない(ハラスメント再考)

会社の中で女性社員を「〇〇ちゃん」と呼ぶ人はいないでしょうか。
これをセクシャルハラスメントというと、「何を大げさなことを!」と反発する人もいるかもしれません。
ハラスメント以前の問題です。
大人の女性に「〇〇ちゃん」と呼びかけるのは、社会人として女性への礼節を欠いた行為です。良識ある社会人ならばしてはならないことです。
法的にはハラスメントは様々な議論はありますが、これは、一定の法的な効果を考えた上で、その限りでの公的な最低限の基準を設けている、というに過ぎません。
法的にハラスメントかどうか以前に、同じ職場の仲間、共に協力し合う仲間に対して、互いにその人格を尊重しあうのは、社会人として当然のことです。
男性も女性もありません。年齢も地位も関係ありません。
男性社員だけにかぎりません。以前勤めていた会社で総合職の女性社員が、一般職の女性社員を「ちゃん」づけで呼んでいたことがあります。呼ばれた一般職の女性が、とても嫌そうな顔をしていたのを思い出します。
その総合職の女性は私の直接の部下ではなかったので、私はハラハラしながら見ていただけでした。あの時、ちゃんと注意してあげるべきだった、と今でも悔いが残ります。


女性社員を「ちゃん」づけで呼ぶような会社は、緊張感を欠いているのです。同じ職場の仲間を尊敬し、協力し合う風土が欠けているのです。
このような緊張感のない会社では、社員の能力は発揮できません。こんな会社は、取引の相手としてふさわしくありません。緊張感のなさが商品製品サービスの手抜きにも繋がりかねないのです。


銅鑼猫

「権限なきリーダーシップ」

この記録は、NPO法人多言語(たげんご)広場(ピアザ)CELULAS(セルラス)鈴木理事長の昨年12月4日セルラスフェスティバルにおける講演の内容を、ニックとして特に印象深かった箇所を中心に纏めたものです。録音録画から逐語的に書き起こしたものではありません。読み言葉としてのわかりやすさを考えて小見出しや配列なども工夫しています。


理事長の講演の内容は多岐にわたり、この取り纏めで尽くせるものではありません。少しでも皆様のご参考になるようにニックなりに纏めてみたものです。
講演の内容の一端を知っていただき、セルラスの活動への理解を深めていただく一助となれば幸いです。



1.日時:平成28年12月4日(日)13時半から16時半の中での講演
2.場所:渋谷区地域交流センター恵比寿


【内容】(記録者にて適宜小見出しをつけ、特記事項を記録)


はじめに
今日は10分以内で話せということなので脱線せずにお話する。米国の大学や高校で発達してきている。権限のないリーダーシップについて話したい。
この会をやってくれているジュニアリーダー、中高生たちの自己表現自覚は大分進んできた。中心メンバーだったお兄さんお姉さんたちが受験や留学などでいない時には、今司会している 中学2年生の子供がこんなにしっかりしている。セルラスが世界に通ずる人材育成を行ってきた成果だと思う。多言語を外して人材育成だけするのではない。多言語を基盤にして人材を育成する。


Ⅰ.権限のないリーダーシップとは
2020年問題。大学の入試に思考力・判断力・想像力を盛り込む。高校も予備校も、おおわらわで準備している。しかしこれは、セルラスが初めからやってきたことだ。
アメリカでは1995年からグローバルリーダーシッププログラムとして、権限なきリーダーシップを打ち出している。
4週間ほど前の読売新聞だったと思うが、立教大学中心にリーダーシップ研究のためアメリカに視察に行った記事がある。
「今までは、カリスマ的あるいは権限を付与されたのもの、元々自分の中にそのような要素がある人がリーダーとなる。その人たちについて、どのようにリーダーシップを育てるか。」という目線で考えていた。
だが、リーダーシップの考え方がガラッと変わっていることがわかった。
グローバルな社会の中では、今までなかった問題が次々とおこる。権限があるリーダーシップでは対抗できない。もって生まれた資質や与えられた権限ではなく、自分がその場にいて、必要なことを見つけて、いち早く行動する。その様なリーダーシップが求められる。アメリカがそれを浸透させようとしている。



Ⅱ.セルラスの活動と権限のないリーダーシップ
セルラスのリーダーズトレーニングキャンプ(原則中学生以上の青少年を中心に2泊3日のキャンプ活動)は5、6年前から始めているが、リーダーシップについて次のように定義している。
1.あらゆる状況の中で
2.今自分は何をすべきか。
3.それを見極めて能動的に行動する。


一例を挙げる。
満員電車の中で、2歳ぐらいの幼児を連れたお母さんに席を譲った。お母さんは私の年を考えてすまなさそうに席に座った。その子が急に気分が悪くなり嘔吐した。とっさにティッシュを出して汚れたところをふいた。自分のティッシュがなくなったので、「ティッシュを貸していただけませんか」と周囲に声をかけた。大勢の人が一斉にティッシュを出してふいたくれた。汚れた床を掃除する人も出てきた。お母さんはひたすら「すみません。有難う。」といっていた。そのような姿を見ながらこの国はまだ大丈夫だと思った。
状況の中で自分が何をすべきか。まず自ら動く、それが周りの人を動かす。


リーダーズトレーニングキャンプの中で、強調しているのは「参加している人間」ではなく、「主催している人間」の立場に立てるかということである。
何をするか目標しっかり持つこと。プログラムの参加に当たっては、自分は何をするのかを見極めて行動すること。などを繰り返し強調している。
キャンプから帰ってから、学校で社会で、そのように行動して欲しいと思う。
このような行動は大学や高校から始めたのでは遅い。もっと小さい時から自分が何をするか鍛えていくべきである。既にピアザではやっていることだ。
ピアザの中でやることを整理してみる。多くのピアザでは既にできていると思う。
できていないピアザがあれば、できるように努めて欲しい。
1.皆で目標を共有する。
自分が主体である。「子供のため」といったexcuse の壁を作るのではなく、お母さん自身が自ら主体的に考えて行動する。共感しあいながら共有していける存在が必要である。共感とは口先だけの「あなたの気持ちわかるわ。」ではない。その人に寄り添うことである。
2.自ら進んで範を示す。
まず自分が率先垂範して行動することである。先程の満員電車での子供の嘔吐の例では、「さあ皆さん片付けましょう。」ではなく、まず自分がティッシュを取り出して拭いた。そして周りの人々の共感を得て、周りの人々とともに行動した。
「みんながやっているから」ではなく、まず、自分がやることである。
3.支援の輪を広げる。
先程の満員電車の例は、実は、私自身の体験である。長年セルラス活動をしていくうちに自分の体にこのような行動の仕方が染み込んでいる。その場で自分のできる事は何かを考えて行動し、お互いに励まし合い、寄り添い、助け合う。


Ⅲ.2017年の世界「多文化主義は崩壊するのか。」
2017年欧米では、様々な問題が噴出している。本年の英国のEU 離脱、米国大統領選挙でのトランプの当選、イタリアの大統領選挙、フランスの大統領選挙オーストリアの元首、それぞれに共通しているのは移民を受け入れてきた国々が、「多文化主義は社会をおかしくした。」という評価が蔓延していることである。
ドイツのメルケル首相が2010年に「多文化主義は崩壊した。」と語っている。
(記録者注)このメルケル首相の発言については、次の参考記事も参照ください。
 室橋祐貴「メルケル首相『多文化主義は完全に失敗』-今この発言に注目すべき理由」
(2016年1月25日THE HUFFINGTONPOST


本当にそうなのか。
多文化主義という「構造」と向き合っているからそう思うのではないか。構造同士のぶつかり合いが生じたのだ。
多文化の中にいる「人」と本当に向き合っているのか。
私はこれまで沢山の国の人と会ったが、「何国人」と考えたことはない。そこに生きている人と向き合ってきたつもりである。
このような考え方をもっともっと深く見つめていきたい。
以上


【参考資料】
日向野幹也
管理職研修と「権限のないリーダーシップ」(東京大学「社会科学研究」第64巻第3号)
「抄録」  「全文」