toranekodoranekoのブログ

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東京オリンピックの思い出

(浜田山近くのマンションの並木道にて)



新しい聖火リレーがスタートしました。
あの1964年東京オリンピックの時の思い出を、以前に東京カベナント教会のブログ「重荷をおろして」に掲載していました。
改めて掲載いたします。



その時、私は中学二年生でした。
学校の各教室に臨時にテレビが置かれ、日本選手が活躍しそうな種目などは授業時間をつぶして先生と生徒が一緒になって応援しました。
国中が湧きたっていたのです。


マラソンで、日本の円谷選手がエチオピアのアベベに次いで二番で競技場に戻ってきたときは、教室中が歓呼の渦でした。残念ながら最後にイギリスの選手に抜かれましたが、堂々の銅メダルです。


閉会式があったのは、中間テストの前日、追い込みの時でした。
休日で家にいたのですが、いてもたってもいられなくなって、テレビを見ました。
あのオリンピックマーチが流れる中、門があくと、各国の選手が怒涛のようにあふれ出てきました。「まだ、これだけ、世界の若者が東京に残っていてくれたのです!」とアナウンサーが絶叫していました。私も心の中で絶叫していました。
国籍も人種も肌の色も違う選手たちが肩を組み、堂々と行進してきます。
カッコつけて、マラソン風に走っている黒人の選手もいました。音楽隊の前で指揮のまねごとをしているお茶目もいました。
観客は大喜び、選手ともども、世界が一つになった時でした。


市川昆監督の映画「東京オリンピック」が公開された時には、学校からみんなそろって見に行きました(その当時、学校でまとまって映画を見に行くことが年に1、2度くらいあり、みんなとても楽しみにしていました。)


その映画の最後に、こんな字幕が流れたのを覚えています。
「人類は四年に一度夢をみる。
これを夢で終わらせてよいのか。」


それから半世紀近く、夢は夢のままにとどまっています。
それでも、夢は実現するためにあります。
あの時を知っている人は、あの熱狂と希望を改めて思い起こしてみましょう。
そして、次の世代の人と語り合い、夢を伝えて行きましょう。


主を俟(まち)待ち望むものは新たなる力をえん。また鷲のごとく翼をはりてのぼらん。走れどもつかれず歩めども倦まざるべし。
(イザヤ書第40章31節;文語訳)(原文の「エホバ」を「主」に置き換えました)


虎猫

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