toranekodoranekoのブログ

虎猫・銅鑼猫など様々なブロガーが参加しているサイトです。クリスチャン、社会保険労務士、多言語活動家、女性キャリア官僚、科学ライター、うるさいばあさんまで、多士済々。お楽しみください。

クリスチャンブロガーが綴るブログです。
明るい高齢化社会、病から得た様々な宝、世の中の動きへの警鐘(銅鑼)を鳴らすこともあります。
ときどき大阪弁も出てくる聖書物語もお楽しみに。
主催者のほか様々な協力者も登場します。

「春が来た Spring has come 」の日本語、ヘブライ語バージョン


「春が来た」をヘブライ語で歌ってみた


知り合いの牧師先生から教えていただきました。
エルサレム在住のご友人が作成されたYouTubeです。
日本語とヘブライ語の「春が来た」
イスラエルの春の景色とともにお楽しみください。


虎猫

棕櫚の聖日・イースターに向けて(再掲)

(東京カベナント教会に今年3月新たに設けられた十字架)


今年、2022年は4月10日が棕櫚の聖日、4月17日がイースターです。
昨年もご紹介しましたが、これまで投稿したブログの中から、関係あるものをご紹介します。


また、私が所属する東京カベナント教会ではインターネット礼拝も行っています。
ご興味ある方はぜひ一度ご参加ください。



①棕櫚の聖日
 やがて来る方にー棕櫚の聖日に寄せて
  2016年3月20日棕櫚の聖日に東京カベナント教会の礼拝でささげた賛美です。
 この詞ではイエス様の声は一切でてきません。
 群衆の声に押しつぶされ、ほふり場に引かれていく羊のように口を開かないお姿です
 イエス様を砕いて痛めることが主の御心でした。
 虐げとさばきによって取り去られることが主の御心だったのです。
 (イザヤ書第53章7節、8節、10節)。


②ゴルゴタの丘三部作
2017年の棕櫚の聖日、イースターにかけてゴルゴダの丘三部作を投稿いたしました。
改めてご紹介します。
お読みいただければ、隊長、副官、兵士、と登場人物が変わっていくつどに、ゴルゴタの丘の意味、十字架の意味が少しずつ解き明かされるようになっています。





③受難曲
ヘンデルブロッケス受難曲
母マリアの絶望の叫びに、イエス様は「あなたのために死ぬ、あなたが天国を手に入れるために死ぬ。」と答えられます。
十字架に釘づけられ閉じられた眼が天国への鍵となり、永遠の命を私たちに与えられたことを確信しつつ曲を閉じます。


④復活
キリスト・コミッション いつでも奇跡はそこにある
 おそらく、復活の最大の証拠は、あの臆病者だった弟子たちが、復活を力強く大胆に語りだしたことにあるのでしょう。東京カベナント教会の故土屋順一牧師が以前にメッセージで語られていたことを思い出し、この本を読んであらためてそう確信することができました。


キリストの復活は事実か?
ジャーナリストのストロベルさんは無神論者で、キリスト教など怪しげなカルトだと思っておられました。ところが、なんと奥さんがクリスチャンになってしまいます。
愛妻を『カルト』から救うためには、キリスト教の信仰の根源『イエス・キリストの復活」は嘘っぱちと証明するのが一番だ!
ところが、調べるうちに疑問はものの見事に論破され、ついにストロベルさんは自らクリスチャンになるのです。


④キリストの生涯ーそして受難から復活へ
リスト《キリスト》オラトリオ
音楽の中には幾度も演奏されて世に広く知られ親しまれていく曲と、本当に志のある方が懸命に企画し努力して、一生に一度の演奏の機会が辛うじて与えられる、それだけの覚悟と献身を求められる曲があります。
今日の曲は間違いなく後者です。
そして、その場に居合わせた人々がその時の情景と感動を語り継ぎ、その場に居合わせることができなかった人々が地団太踏んで悔しがり、ひとつの伝説となっていくのです。


⑤イエス・キリストの生涯・その真実


ナザレのイエスは神の子か
これもジャーナリストのストロベルさんの著作です。ナザレのイエスが神の子であることがジャーナリストの視点で解き明かされます。


「ガリラヤのイエシュー」 この豊饒な世界
福音書を何と!・・各地の方言で翻訳、本文中に詳しい解説も書き込まれて同時に読める、画期的な聖書です。


それからイエシューさまはペトロに言いなさる。
「さア、俺に付いで来オ!」

(ヨハネ第21章第19節)


なお、他にも次のタグで関係のあるものをご覧いただくことができます。
50本以上あります。



虎猫

双子の赤ちゃん親御さんを救った勇気ある人々ー多胎児家庭を救った「当事者ではない」人間の存在


双子三つ子などを抱える親御さんの苦労を知り、ベビーカーのままでバスに乗れるように活動された方の記録です。


双子のベビーカーが迷惑などと、心得違いも甚だしい。
ベビーカーがなければ双子の赤ちゃんも親御さんも身動きができないのです。
我慢すべきは私たちです。手を差し伸べるのが私たちの義務です。


銅鑼猫

戦争の下、国家は個人を領有する


朝日新聞3月29日朝刊の記事です、
ぜひご一読ください。国家と個人のあり方について、深く考えさせてくれます。


印象に残ったところを若干紹介します。


「私の身体は私だけのものではなく、国家という得体(えたい)の知れない巨大なものによって領有されている。必要があれば、国家はいつでも私の身体を徴用し、法律の下、「愛国」「国を守る」という大義名分の下で、好きなように使うことができ、場合によっては死なせることもできる。その事実はとても恐ろしいものだった。」


戦争が起こるということは、個人の身体に対する国家の領有権が極限まで拡張するということだ。身体だけではない。頭の中で考えていること(思想)、発せられる言葉や書かれた文字(言論)、その全てが国家に領有され、管理され、利用され、場合によっては弾圧の対象にされる。その中で「個人」なるものは存在せず、あるのは「国民」「勇敢な兵士」「一億火の玉」という総体、そしてその全てを凌駕(りょうが)する「国家」という巨大な権力だけだ。それに異議を唱えようものなら、直ちに「売国奴」や「非国民」に仕立て上げられて排除の対象となる。」


「私はウクライナを侵略したロシアを非難する。その行為はウクライナの人々の自由を大きく害しているからだ。もし中国が台湾や日本に侵攻したら、私は中国を非難する。その行為は私の自由、そして私の人生に登場した多くの素敵な人たちの自由を大きく害するからだ。しかし、それを防ぐために自分自身の自由を国家権力に献上せよと声がかかったら、私はそれを拒否する。」



そして、結びの言葉です。
「私は瓦礫の下敷きになったり、砲弾で撃たれたりして死にたくない。大空と大地に抱かれて安らかに死んでいきたい。それは本来、人間というものに等しく与えられた権利のはずだ。」


藤田直央三のコメントも紹介します(朝日新聞編集委員=政治、外交、憲法)
 「李さんは国家への信仰の危うさを、民間人に多くの犠牲を生んだウクライナ危機から説きます。ただ、国家への信仰はふだんから空気のようにあります。例えば日本では昨年にかけ、新型コロナウイルスの感染拡大から人々の生命を守るために様々なイベントが中止される中で、時の首相らはなぜ「コロナに打ち勝った証し」として東京五輪開催にこだわったのか。そこには、日本という国家が、国際的かつ国家的に特別なイベントを成し遂げねばという信仰が垣間見えます。」


【銅鑼猫コメント】
いわゆる保守派といわれる人々の考え方は、国民は国家に尽くすべきだ、国民は国家のために存在する、という考え方でしょう。
国のために尽くすことがあたかも人間としての当然の義務だ、と信じているのです。
逆です。国家は国民のために存在するのです。
国民の生命と健康を守り、幸福の追求を守るために、国家は様々な制度を整えて運営しているのです。


銅鑼猫

マイナ保険証で患者が損をする。


こんな馬鹿馬鹿しいことが起こっています。怒っています!


マイナ保険証そのものに私は疑問を感じています。
マイナカードそのものについてリスクが大きすぎます。
こんな大事なカードをなくしたり盗まれたりしたらどうなるのか。
実印と印鑑証明書を一緒に持ち歩くようなものです。
保険証を落としても別の人が悪用することはありえないでしょう。
保険証の記号番号とマイナンバーそのものを紐づけておくシステムをつくれば済むことです。
物理的なカードの上に多様な機能を持たせることがシステムリスクの視点で大きな間違いだと思います。
その上に普及を図るために初診料をアップするなど、マイナカードの不便さを露呈しているだけです。


銅鑼猫