toranekodoranekoのブログ

クリスチャンブロガーが綴るブログです。
明るい高齢化社会、病から得た様々な宝、世の中の動きへの警鐘(銅鑼)を鳴らすこともあります。
ときどき大阪弁も出てくる聖書物語もお楽しみに。
主催者のほか様々な協力者も登場します。

キリストの復活は事実か?

虎猫「図書係のTさん。イースター関係でお勧めの本はありますか?」
T「あります、あります!薄くて読みやすくて、中身は濃いですよ。リー・ストロベル著『キリストの復活は事実か?』という本です。」
虎猫「題名からすると、なんだか神学的な難しそうな本みたいですが・・」
T「いやとんでもない。これは図書係として『イチ押し!』『いいね!』と言いたくなる本ですよ。」
虎猫「どんな本ですか」
T「ジャーナリストのストロベルさんは無神論者で、キリスト教など怪しげなカルトだと思っておられました。ところが、なんと奥さんがクリスチャンになってしまいます。
愛妻を『カルト』から救うためには、キリスト教の信仰の根源『イエス・キリストの復活」は嘘っぱちと証明するのが一番だ!
そう考えて、医学博士、哲学博士などにインタビューし『イエスは死んだふりをしていただけではないか』『イエスの遺体は本当に墓から消えたのか』『復活したイエスを目撃した人はいるのか』といった疑問を次々に投げかけます。
これらの疑問はものの見事に論破され、ついにストロベルさんは自らクリスチャンになるのです。」
虎猫「なんだか、とても刺激的な感じがしますね。」
T「信仰の原点を探るというのみでなく、各種の学問の方法論が縦横に駆使されて、知的な興奮を呼び起こします
当時の十字架刑の凄惨な執行方法を見れば、医学的に『死んだふり』などありえません。執行に失敗したら、処刑を担当した兵士自身が死刑にされてしまうので、失敗など許されないのです。
また『空の墓』についての福音書相互の記述に相違があることから『空の墓』は事実でないと疑う人もいますが、細部の相違は、記述した人の書き振りの相違にすぎません。例えば『まだ暗いうちに』と『明るくなってから』に本質的な相違はないでしょう
空の墓の目撃者が女性であることも、驚くべきことです。当時の女性の地位は低く、公の場でも証言はまったく取り上げられなかったのです。目撃者が女性であったことは、むしろ空の墓が作り話でなく真実であることを強く示すものなのです。このような考え方は歴史学的なアプローチの仕方なのだそうです。
そのほかの福音書の細部の相違も、例えば裁判で複数の目撃者の証言が細部まで同一だったほうがかえって『口裏をあわせた』と疑うのが自然でしょう。法学的なアプローチからも、空の墓の真実が補強されると言えそうです。」
虎猫「うーむ。これはなかなか面白そうですね。では最後のテーマ『復活したイエスを目撃した人はいるのか。』はどうなるのでしょうか。」
T「復活のイエスの目撃証言は、福音書、使徒の働き、コリント人への第1の手紙など各所に記載されています。」
虎猫「これが伝説であったり、集団幻覚であったといった可能性はないのですか。」
T「本書では伝説や幻覚ではありえないことも簡潔に説明されています。伝説については歴史学的アプローチで論破され、幻覚については心理学的アプローチで論破されています。例えば、幻覚は個人的主観的事象であり、複数の人間が同じ幻覚を見ることはできないのです。また、幻覚を見るには期待や予感があるのが大前提ですが、十字架刑の後、恐れ、疑い、絶望にあった弟子たちには、そんな期待も予感もなかったのですよ。」
虎猫「すごいな。私も読みたくなりました。」
T「ストロベルさんは、このほか、ジャーナリストとしての知見を縦横に駆使した書物を幾冊もあらわしておられます。虎猫さん、手分けして読破してみませんか。」
虎猫「・・・そのうち折を見て」
T「時は今、ぐずぐずしない!」


リー・ストロベルさんの本
(いずれも「いのちのことば」社刊行。)
ナザレのイエスは神の子か? 「キリスト」を調べたジャーナリストの記録
(「キリストの復活は事実か」は、この本の最後のパートを独立させたものです。
阿倍野美玖さんが書かれた同名のブログもご参照ください。)

それでも神は実在するのか? 「信仰」を調べたジャーナリストの記録
宇宙は神が造ったのか?――聖書の「科学」を調べたジャーナリストの記録


【このブログは東京カベナント教会ブログ「重荷をおろして」に2013年5月に投稿したものですが、イースターを迎え、改めて投稿しました。
「聖書の話」タグで他の関係ブログも検索できますのでご一読ください。 


虎猫