toranekodoranekoのブログ

虎猫・銅鑼猫など様々なブロガーが参加しているサイトです。クリスチャン、社会保険労務士、多言語活動家、女性キャリア官僚、科学ライター、うるさいばあさんまで、多士済々。お楽しみください。

クリスチャンブロガーが綴るブログです。
明るい高齢化社会、病から得た様々な宝、世の中の動きへの警鐘(銅鑼)を鳴らすこともあります。
ときどき大阪弁も出てくる聖書物語もお楽しみに。
主催者のほか様々な協力者も登場します。

シューベルトの招き―宇宿允人(うすきまさと)の世界―


シューベルトの招き―宇宿允人(うすきまさと)の世界―


2009年5月29日(金)池袋 東京芸術劇場大ホール
「第180回宇宿允人の世界 シューベルト名曲の夕べ」


未完成の第2楽章が終わったとき、ためらいがちな拍手が起こり、すぐにやんでしまいました。
すべての音の余韻が消え、ようやく指揮者の宇宿先生が指揮棒を下げて終わりを告げると、会場は割れんばかりの拍手に包まれました。


休息の後は、あの長い長い交響曲第8番「グレイト」でした。
ホルンの吹鳴が新しい世界の始まりを告げます。第1楽章です。
あふれる希望と喜びが躍動します。このままいつまでも浸りきっていたい、長く長くそのまま続いてほしい、と思っていても、壮大な終わりとなります。できれば、ここで拍手してそのまま帰りたい、と思いました。
そして、第2楽章。低弦に導かれてオーボエが歌い始めたとき、その背後の世界が目の前に広がってきました。華やかな喜びは仮の姿、暗い深淵が潜んでいました。よく知っている曲です。何度でも聞いている曲です。それでも、「見てごらん、これが世界の本当の姿なのだよ。」というシューベルトのささやきが初めてのように耳元に聞こえてきます。
第3楽章。体が思わず動きだす躍動感、素朴なステップに身をゆだねていると、やがて、木管楽器が静かに語りかけてきました。可憐な花のように見えた世界が暗転し、また別の希望へいざなわれ、また暗闇がやってきます。
繰り返される全楽器群の強奏、再び素朴なステップ、可憐な花に見え隠れする背後の世界。
第4楽章。それでも、前に進んでいくしかありません。世界がどれだけ絶望と苦しみに満ちていても、私たちには、頂いた命があります。
もう一度、心に刻みましょう。私たちは生かされています。


言葉の尽きるところに音楽が始まります。
私たちは、この日、この時、この場で、この体験を共有できた喜びを胸に、家路につきました。


「それだけではなく、苦難さえも喜んでいます。それは苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです。」(新約聖書「ローマ人への手紙」第5章3、4節:新改訳2017版)



宇宿允人の世界は、指揮者宇宿允人先生が、公的な支援など一切受けずに運営されてきました。年に数回の演奏会の都度、自らの音楽に共感する奏者を集め、3日ばかりの猛烈な特訓で鍛え上げるのです。事務局や裏方は、奏者とボランティアだけで運営されていたのです。


先生は2011年3月5日、76歳で逝去されました。
そして10年、先生をしのびZOOM での会合が予定されています。別途ご案内します。


虎猫

×

非ログインユーザーとして返信する