toranekodoranekoのブログ

虎猫・銅鑼猫など様々なブロガーが参加しているサイトです。クリスチャン、社会保険労務士、多言語活動家、女性キャリア官僚、科学ライター、うるさいばあさんまで、多士済々。お楽しみください。

クリスチャンブロガーが綴るブログです。
明るい高齢化社会、病から得た様々な宝、世の中の動きへの警鐘(銅鑼)を鳴らすこともあります。
ときどき大阪弁も出てくる聖書物語もお楽しみに。
主催者のほか様々な協力者も登場します。

ハラスメントは会社を蝕む恥ずべき愚行

組織は人で動いています。人間としての特性をよく理解してください。管理職は部下を人として尊重し、人として誇りを持って仕事ができるように大切に扱う必要があります。その対極の例が最近の電通の事件だと思います。
大切な若い社員を人として扱わなかった、個人の尊厳を踏みにじった。それが本質的な問題なのです。
ハラスメントというのは、社員個人の尊厳を損なう行為です。恥ずべき愚行です。ハラスメントという洒落た外国語から、ついつい軽く考えていませんか。
ハラスメントは、簡単に言えば、他の社員をからかい・嘲り・あるいは陰口の対象にすることです。社員がお互いを信頼・尊重する社風を蝕み、士気を損なっていきます。
ハラスメントの本質は、「社員相互の信頼・尊重の気風があるか、それを蝕む行動がないか」と見るべきものです。他の社員をからかい、あざけり、陰口を言う風土は、やがて顧客や社会を軽んずる姿勢(例えば、顧客を金儲けの手段として扱う風土・意識)をすら生じかねません。さらには不正の誘因にすらもなりかねないものです。
経営者は、このようなハラスメントの危険性をはっきり認識しておくべきです。



ハラスメントについては、法的にはこまごまとした定義があったり、対策について技術的・専門的な論点が様々指摘されています。それがともすると、人事部の誰かが取り組む専門的な問題との誤解を生んでいるのではないでしょうか。
社員一人一人を人として尊重する。まともな経営者ならば、必ず行うべきことです。それこそが一番的確なハラスメント対策です。
それが会社を明るく元気にし、社会から尊敬される会社へと変えていきます。


銅鑼猫
【2020年3月23日改定追記】
*このブログは先に公開した「ヤミ残業は会社を根本から腐らせる。」とともに、日本公認不正検査士協会から発行の教材「不祥事・不正は他人ごとではない」の掲載内容から作成したものです。詳細は次の通りです。



銅鑼猫

からかってはいけない。あざけってはいけない。

昔、景気の良いころ、私が勤めている会社では夏の夜に「園遊会」という催しがありました。役員さんから平社員まで一緒になっての立食パーティーです。飲み放題、食べ放題、平社員であっても役員さんと気兼ねなく話もできる会でした。
ステージでは、のど自慢大会。
腕に覚えのある人が自慢ののどを披露し、グランプリとか歌唱賞とか、いろいろな賞が出ました。
あるイケメンが得意の持ち歌を情感たっぷりに歌い、私はなかなかうまいな、と思ったのですが、もらった賞が「自己満足賞」。
会場はゲラゲラ大笑いです。
ところが、彼は「自信を無くした。」とぽつり。翌年から出場しないと言い出しました。
「情けない奴だな。ただのお遊びじゃないか。」これがまた、周囲のからかいの種になりました。


そして翌年の園遊会。
私がしっかり練習して自慢の歌を披露したのですが、もらった賞が「自己満足賞」。
そのときはじめて、前年の彼の気持ちがわかりました。
すごく傷つくのです。プライドがズタズタになるのです。


ある芸人さんの言葉です。「人を貶めて笑いを取ろうとしてはいけない。」
からかいは、ごく親しい仲で、お互いに合意のある中でこそ、交わりのスパイスとなります。衆人環視の中でのからかいは、罵倒される以上に人の心を傷つけます。
そういえば「課長にからかわれた。怒られるならまだいい、からかわれるのは耐えられない。」といって、女子社員が大泣きしたのを覚えています。


新年にもいろいろな催しがあるでしょう。幹事さんたちはどうか心してください。
ステージにのぼる人は、一生懸命練習して、心を込めて尽くそうとしているのです。
出演する人、労してくださる人をからかいの種にしてはいけません。


催しごとに限りません。職場でも学校でも、人をあざけったりからかったりしてはなりません。からかう方は軽い冗談のつもりでも、からかわれた方をひどく傷つけることになります。「ハラスメント」「いじめ」の問題はここにあります。
加害者は大きな罪の意識もないままに、被害者を耐え難い苦しみにも追い込みかねないのです。
ハラスメントの問題は稿を改めてもう少し詳しく述べたいと思います。


あざける者を主はあざけり、へりくだる者には恵みを授ける。
旧約聖書箴言第3章第34節


銅鑼猫

技師の遺言(原子力発電所の真実)

私が縁側で涼んでいると、裏の木戸を開けて引退した技師の中井さんがやってこられた。中井さんは私が幾度もお邪魔して現役時代のお話を伺った方だ。2年ほど前に亡くなっていたはずなのに?夢を見ているんだろうか。
でも、中井さんはいつものように、軽く手をあげておっしゃった。
「阿部さん。久しぶりだね。結婚が決まったそうじゃないか。おめでとう。」
「ありがとうございます。中井さんが遺されたノートを研究所の技師の方と一緒に解読しているうちに、その方と・・・。
さあ、これをどうぞ。フィアンセ(婚約者)のお母様が地元名産の『最中(もなか)』を送って下さったのです。ひとりでは食べきれないビッグサイズです。お好きなだけどうぞ。」
中井さんは縁側に腰掛け、冷茶を一口おいしそうに飲むと、『最中』の包みを開けて、4等分して一つを食べ始めた。そしてやおら語りだした。


「今日来たのは、やはりどうしてもあんたには話しかったからだ。原発のことだよ。」
やはりそうだったのか。あれから幾年たつのだろうか。収束のめども立たない。
むしろ隠れていた問題が次々明るみに出るような感じさえ受ける。


「まずは、なぜ私たちの国が原子力に傾注したのかだ。
原子力の圧倒的なエネルギーだよ。水力発電の『黒四ダム』は7年の難工事で171名もの殉職者を出した。得られたのは約34万キロワット(kW)にすぎない。
福島第1原発は1号機だけで46万kW、2号機から5号機はそれぞれ78万kW、6号機は110万kWだ。合計すれば468万kW。私たちはこの圧倒的なエネルギーに驚き衝撃を受け、国中に原発を造り続けたのだ。」


「そこでね、まず、電気を発生させる仕組みを確認しておこう。
・水力:ダムにためた水の位置エネルギーを運動エネルギーに変換してタービンを回す。仕組みは単純だが、大きなエネルギーを取り出すには、あんな巨大なダムが必要なのだ。環境の問題から、もはや我国では大規模水力発電の立地はないとされる。
・火力・原子力:単純に言えば、お湯を沸かしてタービンを回す仕組みだ。化石燃料を燃やすのか、ウランの核分裂反応を用いるかの違いに過ぎない。核分裂反応は、自然の中で物質として安定していた秩序を強引に解き放って、エネルギーを得る。リスクが大きいことは想像できるだろう。」


「原発の問題をいくつかにわけて説明しよう。
一つ目はコントロールの難しさだ。
水力は蛇口を締めればすぐ止まる。火力は火を消せば数十分程度で止まる。
原子力は違う。熱が一定の温度を超えると核分裂がおこり、その連鎖反応は止まらない。やかん(原子炉)に入れた燃料は、水を沸騰させるだけでなく、常時適切にコントロールしていないと、やかんを熱で破って外部に流出していく(メルトダウン)。
原子力はこの圧倒的エネルギーをどのようにコントロールするかの戦いなのだ。止めるには冷温停止しかない。
福島では、8つの冷温停止装置の内、7つが電力で動く装置だったため停電で稼働せず、残りひとつは職員が使用方法を知らなかったために結局使用できなかった。
メルトダウンは起こしたがとりあえず止まったのは、幸運な偶然に過ぎない。人間がコントロールした結果ではない。いまだに原子炉内の状態がどうなっているかさえ、わかっていないのだ。」


「二つ目の問題は、事故発生時の危険だ。
原発については、事故発生時のリスクがほかの発電方式と根本的に異なる。影響の範囲が急速にしかも制御できないほど広範にひろがる。
人々が着のみ着のまま避難を余儀なくされた。見当違いな方向へ避難しては別の場所へ動くことさえあった。動かすことのできない病人も無理に動かすしかなかった。避難先で、環境変化に耐えられず亡くなったり(原発関連死)、病が重くなる方も続出した。
 家畜などは打ち棄てるしかなく、現地で死に絶えて白骨化している。一時帰宅した人々が家畜たちの変わり果てた姿を見て、原発反対に動くのは当然のことだろう。
さらに将来にわたる環境への影響、例えば子どもたちなどへの影響はどのようになるのか。甲状腺がんなどの発生が懸念されている。」


「そして原発については大きな事実誤認が二つまかり通っている。
一つは『原発はCO2をださないから地球温暖化対策の切り札になる、地球環境に優しい-』というものだ。
原発は、膨大な核分裂エネルギーを用いてお湯を沸かすものだ。技術的な制約から熱効率が悪い。100万キロワット時の発電のさいには、その倍の200万キロワット時もの排熱を発生させ、これを海に流すなどで、地球を直接温暖化している。さらに高レベル放射性廃棄物という、危険な副産物が加わる。
これに対して火力は、技術進歩で熱効率がよくなっており、100万キロワット時の発電のさいの排熱は同量の100万キロワット時に留まっている。CO2排出量こそ毎時4000トン弱だが、全体を比較すれば、いずれが地球環境に優しいのだろうか。」


「原発についてはもう一つの大きな事実誤認は、原発がコスト安、というものだ。いま明らかになってきている様々な費用(たとえば除染費用、汚染水対策)などを精査していけば、現在のコスト見積の問題は明らかになっていくだろう。
逆に火力については、シェールガスなどの新しいエネルギー源をどう活用するか、などのコスト減の道が検討されているではないか。
なによりも原発事故発生時の危険は、人の生死にすら直接かかわる問題だ。たとえコストが安かったとしても、選択すべき道かどうか、慎重に考えないといけない。
もちろん、火力でも水力でも人命の危険はある。但し、火力・水力については人命の危険は設置工事や原料採掘・輸送や発電に携わるプロフェッショナルにほぼ限定され、制御は不可能とは言えない。
原発のように、予想もつかないときに広範な人々に緊急に危険が及ぶものではない。」


私はただ圧倒された。
中井さんはお茶を一口飲み、言葉を継いだ。
「技師にとって本当に大切なことが何かわかるかね。技師に限らずおよそプロと言われる人にとって本当に大切なことが何なのか?」
「・・?」
「それはね、自分が向き合う対象への畏れの気持ちだよ。そして感謝の気持ちだ。
技師なら自分の技術ですべてコントロールできるなどと考えてはいけない。科学者なら自然への畏れ、畏敬を忘れてはならない。
私たちが地球を作ったのではないし、私たちが地球を支配しているのでもない。
私たちは、ひとときこの地球に住むことを許されている存在にすぎない。
住まわせていただいていることへの感謝があれば、畏れの気持ちがでてくるはずだ。
いま私たちがすべきは、この過酷事故の真実、その後の私たちの行動を隠すことなく世界に示すことだ。そこから得られる教訓を全世界に発信すべきだ。
そしてこの事故から勇気をもって立ちあがっていくこの国と国民の姿を世界に示すことだ。」
中井さんの話はようやく終わった。
私はやっと口を開くことができた。
「中井さん。また来てくださいますか。」
「何時でも呼んでおくれ。まだまだ落ち着いて眠ることは出来そうもないからね。」
そう言うと、中井さんの姿はふっと消えていた。


そしてお皿には、あのビッグ最中の包装紙だけが残っていた。
そうだ、中井さんは筋金入りの甘党だった。
「中井さん。また来てくださいね、おいしいお茶とお茶菓子を用意しておきますから。」
そう呼びかけてみた。裏の木戸がカタンとなったように思った。


阿部吉江


(注)このブログ「技師の遺言」は、東京カベナント教会ブログ「重荷をおろして」に2013年10月に投稿していたものですが、その後も原子力発電所の状況は一向に変わらないようです。中井さんが業を煮やして近々またいらっしゃるような気がしてなりません。
2013年に中井さんに教えていただいた文献は、いずれも大切なものだと思います。以下に紹介します。


【主な参考文献】
嶋田隆一監修・佐藤義久著 「電気のしくみ―発電・送電・電力システム
 (原発と地球環境の問題については、この本の159頁、166頁参照)

電気のしくみ 発電・送電・電力システム
電気のしくみ 発電・送電・電力システム
丸善出版



 (原発と地球環境の問題については、この本の159頁、166頁参照)


安富歩著 「原発危機と『東大話法』―傍観者の論理・欺瞞の言語―」

原発危機と「東大話法」―傍観者の論理・欺瞞の言語―
原発危機と「東大話法」―傍観者の論理・欺瞞の言語―
明石書店



広河 隆一 「福島 原発と人びと」

福島 原発と人びと (岩波新書)
福島 原発と人びと (岩波新書)
岩波書店


コリーヌ・ルパージュ著
「原発大国の真実: 福島・フランス・ヨーロッパ ポスト原発社会へ向けて

原発大国の真実―福島、フランス、ヨーロッパ、ポスト原発社会へ
原発大国の真実―福島、フランス、ヨーロッパ、ポスト原発社会へ
長崎出版




金子勝著「原発は火力より高い」

原発は火力より高い (岩波ブックレット)
原発は火力より高い (岩波ブックレット)
岩波書店


中井さんと阿部さんの出会いについてはこのブログをご参照ください。

技師の思い出

私がはじめて中井さんを訪ねたのは2年前。
私の勤める団体は、引退した技術者から昔の話を聞き取って記録し次世代に生かす、という仕事をしている。
おじいさんが多いが、おばあさんもいらっしゃる。
現役時代の思い出話をともかく自由に語っていただく、その中に多くのヒントがある、というのだ。聞き取りの担当者は若い女性が多い。孫娘に語るような気楽さで、語っていただけるからだという。


技術を聞き取る基本的な知識、何よりも、心をほぐし自由に語っていただくための方法は導入教育で教えられ、先輩と一緒にいろいろな方とお会いして実践で鍛え上げられた。
私が独り立ちして初めてお会いしたのが中井さんだった。中井さんはとても気難しそうな感じを受けた。
「誠意、そして感動と感謝の気持ち」そう教えられた先輩の言葉を胸に刻んで、2度、3度と伺ううちに「次はいつ来てくれるんだ。」と中井さんが恥ずかしそうに尋ねてこられた。
この人は気難しいのではない、ちょっと恥ずかしがり屋さんなのだ、そうわかったとき、なんだか飛び上がりたくなるほど嬉しくなった。
次に伺うと、難しい字や算式や図表がいっぱい並んだ黄ばんだノートを取り出してこられた。
そして「この話は墓場まで持っていこうと思っていたんだ。でもあんたなら聞いてもらえる。」そうおっしゃいながら、昔の失敗談、辛うじて防げた事故、防げなかった事故・・
次々と話された。
私がすべてを理解できるわけではない。でも、わかったふりはいけない。しっかりと疑問を口にする、ひたすら謙虚に尋ねる、それを繰り返すうちに、今度は新しい紙を一抱え持ってこられて、次々と図を描き、算式を補って、最後には、人や機械のイラストまで描きこんで、熱に浮かされたように説明を続けられた。
そのようにして、週に一度、二度とお会いして半年以上たった。


別れは突然だった。中井さんは急になくなった。
私が弔問に伺うと、奥様に別室へ案内された。
「阿部さん。本当にありがとう。」奥様が微笑みながらおっしゃる。
「あの人は自分の寿命がわかっていたんですよ。余命2か月とお医者様からいわれていたのです。でも、あなたにお会いして、毎週来ていただけるのを楽しみにしているうちにお医者様も驚くほど元気を取り戻していったの。」
「阿部さん。このノート。私にも見せてくれなかったし、見てもわからなかったと思います。あなたなら、きっと役に立てていただけるでしょう。
あの人の最後の言葉がね・・『ノートをあの子に』だったんですよ。
自分の命を懸けた仕事を若い人に伝えたい。その思いだけで命を延ばしたのね。
きっと一生で一番楽しい時を過ごせたと思いますよ。」
そうおっしゃりながら、あのノートを私に差出して、静かに頭を下げられた。
ノートには新しい染みがいくつかあった。


中井さん。あなたの思いは私がきっと伝えます。どうか見守っていてください。
そう心に刻みながら、ご自宅を辞した。
そのとき、急に声が聞こえた。「任せたぞ!」
周りには誰もいなかった。


「彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。」(詩編92編14節)


阿部吉江

英語とロシア語の違い?

少し前のことですが、3月16日に、イアン・ブレマー さんという地政学(Geopolitics:ジオポリティクス)の専門家のセミナーに行ったことがあります。
「2016年世界の10大リスク」というおどろおどろしいテーマ。
日興アセットマネジメント社主催。


その中でこんなやり取りがありました。


質問:
いま日本人がすべきことはなんでしょうか。
答:
言葉は問題ではない。ソフトがどんどん進化して同時通訳ソフトも現れてきている。
同時通訳の皆さんは別の仕事を探したほうが良いですよ。
言葉だけでは他国の人の頭に入ることはできません。
相手の気持ちになる姿勢、他人とのコミュニケーション能力こそが求められます。


英語には英語の特殊性があります。私はロシア語もできるので、ロシア語との違いをご説明しましょう。
英語では「私はこれが好きだ。」こんな言い方をします。能動態です。英語はナルシシスティック【narcissistic】(自己愛的。自己陶酔的)な言語なのです。
ロシア語ならば受身で表現します。
「これは私にとってよい。」といった言い方になります。
このような自分と異なる世界観を持った人と接することです。
自分と違う世界観を持った人を理解できるかどうかです。


【ニックより皆さんへ】
多言語を学んでいる皆さんなら、このロシア語の感じ分かりますか?
1年ばかり多言語を学んだニックにはとても分かりません。
でも、このような各言語の特徴を知ることは文化を理解することにつながるのでしょう。
逆に言えば、英語だけねじり鉢巻きで勉強すると、その世界観だけに取り憑かれてしまうのかもしれませんね。


【アーニャより】
ニックパーパチカのロシア語の勉強と言ったら、日本語に無理にオヤジギャグ風にこじつけるだけなんです。「もちろん」「いいよ」というロシア語は「カニアシダ」と聞こえるので、「ロシア語はもちろん蟹足だ!」なんて、乱暴な覚え方をしています。
最近「ミッションインポッシブル」のDVDで、ロシアの悪役がロシア語で仲間に電話しているシーンがありました。「お前が探していたアメリカ人(主人公イーサン・ハント)がいるだろう。もちろん連れて行ってやる。」といった字幕でした。
そのシーンでニックパーパチカは、「そらみろ!『カニアシダ』と言っているのが聞こえたぞ。ロシア語はもちろん蟹足だ!」とひとりで喜んでいました。
でも、ちょっとだけでも知っていると何となくロシアが近くなる気持ちになりますね。
そんなことからでも、少しずつ多言語・多文化を学んでいけばいいのかもしれません。


ニック&アーニャ