toranekodoranekoのブログ

虎猫・銅鑼猫など様々なブロガーが参加しているサイトです。クリスチャン、社会保険労務士、多言語活動家、女性キャリア官僚、科学ライター、うるさいばあさんまで、多士済々。お楽しみください。

クリスチャンブロガーが綴るブログです。
明るい高齢化社会、病から得た様々な宝、世の中の動きへの警鐘(銅鑼)を鳴らすこともあります。
ときどき大阪弁も出てくる聖書物語もお楽しみに。
主催者のほか様々な協力者も登場します。

君は星を見ているのか

あるアメリカの女性が軍人のご主人と共に、インディアン居留地近くの任地にやってきました。
都会を遠く離れ、話し相手もありません。
女性はお父様に「こんなところは寂しくて嫌です、早く都会に帰りたい。」と手紙を書きました。
お父様から返事がきました。こう書かれていました。
「二人の囚人が鉄格子から外を眺めていた。
一人は泥を見ていた。一人は星を見ていた。」
Two men look out through the same bars: one sees the mud, and one the stars.


女性は、はっと胸を衝かれました。
次の日から、女性はインディアンの家を訪ねて、伝統の織物を教えてもらうようになりました。やがてその伝統織物を各地に伝える活動を始めるようになったのです。


昔読んだ本の一節です。
突然の病で入院しました。その病院のベッドでふと思い出しました。
心に誓いました。
自分は星を見て生きる。


「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」(ピリピ人への手紙第4章第4節)


【注】
2015年10月急に入院したときに、東京カベナント教会のブログ「重荷をおろして」に投稿した記事です。幸いに無事退院し、今は健康に過ごしています。そのときのことを忘れないように、改めて投稿してみました。


①アメリカの女性の話は記憶で書いています。出典をご存知の方はぜひ教えてください。
②二人の囚人の名言の出所
フレデリック・ラングブリッジ(19~20世紀アイルランドの作家、1849~1923)
『不滅の詩』
「ジョジョの奇妙な冒険」で引用されていることで有名な言葉だそうです。
ご存知の方も多いのではないでしょうか。

女性社員を「ちゃん」づけで呼んではいけない(ハラスメント再考)

会社の中で女性社員を「〇〇ちゃん」と呼ぶ人はいないでしょうか。
これをセクシャルハラスメントというと、「何を大げさなことを!」と反発する人もいるかもしれません。
ハラスメント以前の問題です。
大人の女性に「〇〇ちゃん」と呼びかけるのは、社会人として女性への礼節を欠いた行為です。良識ある社会人ならばしてはならないことです。
法的にはハラスメントは様々な議論はありますが、これは、一定の法的な効果を考えた上で、その限りでの公的な最低限の基準を設けている、というに過ぎません。
法的にハラスメントかどうか以前に、同じ職場の仲間、共に協力し合う仲間に対して、互いにその人格を尊重しあうのは、社会人として当然のことです。
男性も女性もありません。年齢も地位も関係ありません。
男性社員だけにかぎりません。以前勤めていた会社で総合職の女性社員が、一般職の女性社員を「ちゃん」づけで呼んでいたことがあります。呼ばれた一般職の女性が、とても嫌そうな顔をしていたのを思い出します。
その総合職の女性は私の直接の部下ではなかったので、私はハラハラしながら見ていただけでした。あの時、ちゃんと注意してあげるべきだった、と今でも悔いが残ります。


女性社員を「ちゃん」づけで呼ぶような会社は、緊張感を欠いているのです。同じ職場の仲間を尊敬し、協力し合う風土が欠けているのです。
このような緊張感のない会社では、社員の能力は発揮できません。こんな会社は、取引の相手としてふさわしくありません。緊張感のなさが商品製品サービスの手抜きにも繋がりかねないのです。


銅鑼猫

「権限なきリーダーシップ」

この記録は、NPO法人多言語(たげんご)広場(ピアザ)CELULAS(セルラス)鈴木理事長の昨年12月4日セルラスフェスティバルにおける講演の内容を、ニックとして特に印象深かった箇所を中心に纏めたものです。録音録画から逐語的に書き起こしたものではありません。読み言葉としてのわかりやすさを考えて小見出しや配列なども工夫しています。


理事長の講演の内容は多岐にわたり、この取り纏めで尽くせるものではありません。少しでも皆様のご参考になるようにニックなりに纏めてみたものです。
講演の内容の一端を知っていただき、セルラスの活動への理解を深めていただく一助となれば幸いです。



1.日時:平成28年12月4日(日)13時半から16時半の中での講演
2.場所:渋谷区地域交流センター恵比寿


【内容】(記録者にて適宜小見出しをつけ、特記事項を記録)


はじめに
今日は10分以内で話せということなので脱線せずにお話する。米国の大学や高校で発達してきている。権限のないリーダーシップについて話したい。
この会をやってくれているジュニアリーダー、中高生たちの自己表現自覚は大分進んできた。中心メンバーだったお兄さんお姉さんたちが受験や留学などでいない時には、今司会している 中学2年生の子供がこんなにしっかりしている。セルラスが世界に通ずる人材育成を行ってきた成果だと思う。多言語を外して人材育成だけするのではない。多言語を基盤にして人材を育成する。


Ⅰ.権限のないリーダーシップとは
2020年問題。大学の入試に思考力・判断力・想像力を盛り込む。高校も予備校も、おおわらわで準備している。しかしこれは、セルラスが初めからやってきたことだ。
アメリカでは1995年からグローバルリーダーシッププログラムとして、権限なきリーダーシップを打ち出している。
4週間ほど前の読売新聞だったと思うが、立教大学中心にリーダーシップ研究のためアメリカに視察に行った記事がある。
「今までは、カリスマ的あるいは権限を付与されたのもの、元々自分の中にそのような要素がある人がリーダーとなる。その人たちについて、どのようにリーダーシップを育てるか。」という目線で考えていた。
だが、リーダーシップの考え方がガラッと変わっていることがわかった。
グローバルな社会の中では、今までなかった問題が次々とおこる。権限があるリーダーシップでは対抗できない。もって生まれた資質や与えられた権限ではなく、自分がその場にいて、必要なことを見つけて、いち早く行動する。その様なリーダーシップが求められる。アメリカがそれを浸透させようとしている。



Ⅱ.セルラスの活動と権限のないリーダーシップ
セルラスのリーダーズトレーニングキャンプ(原則中学生以上の青少年を中心に2泊3日のキャンプ活動)は5、6年前から始めているが、リーダーシップについて次のように定義している。
1.あらゆる状況の中で
2.今自分は何をすべきか。
3.それを見極めて能動的に行動する。


一例を挙げる。
満員電車の中で、2歳ぐらいの幼児を連れたお母さんに席を譲った。お母さんは私の年を考えてすまなさそうに席に座った。その子が急に気分が悪くなり嘔吐した。とっさにティッシュを出して汚れたところをふいた。自分のティッシュがなくなったので、「ティッシュを貸していただけませんか」と周囲に声をかけた。大勢の人が一斉にティッシュを出してふいたくれた。汚れた床を掃除する人も出てきた。お母さんはひたすら「すみません。有難う。」といっていた。そのような姿を見ながらこの国はまだ大丈夫だと思った。
状況の中で自分が何をすべきか。まず自ら動く、それが周りの人を動かす。


リーダーズトレーニングキャンプの中で、強調しているのは「参加している人間」ではなく、「主催している人間」の立場に立てるかということである。
何をするか目標しっかり持つこと。プログラムの参加に当たっては、自分は何をするのかを見極めて行動すること。などを繰り返し強調している。
キャンプから帰ってから、学校で社会で、そのように行動して欲しいと思う。
このような行動は大学や高校から始めたのでは遅い。もっと小さい時から自分が何をするか鍛えていくべきである。既にピアザではやっていることだ。
ピアザの中でやることを整理してみる。多くのピアザでは既にできていると思う。
できていないピアザがあれば、できるように努めて欲しい。
1.皆で目標を共有する。
自分が主体である。「子供のため」といったexcuse の壁を作るのではなく、お母さん自身が自ら主体的に考えて行動する。共感しあいながら共有していける存在が必要である。共感とは口先だけの「あなたの気持ちわかるわ。」ではない。その人に寄り添うことである。
2.自ら進んで範を示す。
まず自分が率先垂範して行動することである。先程の満員電車での子供の嘔吐の例では、「さあ皆さん片付けましょう。」ではなく、まず自分がティッシュを取り出して拭いた。そして周りの人々の共感を得て、周りの人々とともに行動した。
「みんながやっているから」ではなく、まず、自分がやることである。
3.支援の輪を広げる。
先程の満員電車の例は、実は、私自身の体験である。長年セルラス活動をしていくうちに自分の体にこのような行動の仕方が染み込んでいる。その場で自分のできる事は何かを考えて行動し、お互いに励まし合い、寄り添い、助け合う。


Ⅲ.2017年の世界「多文化主義は崩壊するのか。」
2017年欧米では、様々な問題が噴出している。本年の英国のEU 離脱、米国大統領選挙でのトランプの当選、イタリアの大統領選挙、フランスの大統領選挙オーストリアの元首、それぞれに共通しているのは移民を受け入れてきた国々が、「多文化主義は社会をおかしくした。」という評価が蔓延していることである。
ドイツのメルケル首相が2010年に「多文化主義は崩壊した。」と語っている。
(記録者注)このメルケル首相の発言については、次の参考記事も参照ください。
 室橋祐貴「メルケル首相『多文化主義は完全に失敗』-今この発言に注目すべき理由」
(2016年1月25日THE HUFFINGTONPOST


本当にそうなのか。
多文化主義という「構造」と向き合っているからそう思うのではないか。構造同士のぶつかり合いが生じたのだ。
多文化の中にいる「人」と本当に向き合っているのか。
私はこれまで沢山の国の人と会ったが、「何国人」と考えたことはない。そこに生きている人と向き合ってきたつもりである。
このような考え方をもっともっと深く見つめていきたい。
以上


【参考資料】
日向野幹也
管理職研修と「権限のないリーダーシップ」(東京大学「社会科学研究」第64巻第3号)
「抄録」  「全文」

生死の向き合う場所

私の病室は6人部屋で、ナース・ステーションからは少し離れています。
ある朝、病室を出てみると、ナース・ステーションの前でお医者さん・看護師さんが整列しておられました。
ご家族でしょう。女の方が「まだ若いのに」とむせび泣き、男の方が人目はばからずしっかりと抱きしめておられました。そして、ナース・ステーションの前の個室の病室に入っていかれました(特に重い患者さんはナース・ステーション前の個室に入っておられます)。
私が自分の病室に戻り、もう一度出てみると、ご遺体が運ばれていくところでした。ご家族が付き添ってエレベータに向かうのを、私も頭を下げてお見送りしました。


入院して4週間。
こうして自分が直接にお見送りしたのは2回目です。
自分が知らない間にも、幾度かあったようです。
深夜にご家族ご親戚が集まって、談話室で話し込んでおられる、「遅いからあんたたちは帰りなさい。」「いや付き添います。」「お寺はどうする・・」
夕方、若いお嬢さんが携帯電話をされている。「もう延命措置はしないことにしたの。」


私自身の病は、幸いに発見が早かったので、命に別状なく治ると言われていますが、幸運に支えられてのことに相違ありません。
ここは病院です。生死の向き合う場所です。


この記事は、3年半ほど前に、チャーグストラウス症候群という難病で、緊急入院したときに病棟で書いていたものです。病が癒された今、改めてその時の気持ちを思い出すために、このブログに投稿いたしました。


虎猫

患者の心得(江戸前のパリの街角)

私が入院していた時です。
朝、目が覚めて洗面などに立ったとき他の患者さんとお会いすると、ごく普通に「おはようございます。」とあいさつしました。
ところが、あいさつを返していただける方が殆どおられません。
次の日も同様に「おはようございます。」
それでもあいさつゼロ。
ばかばかしくなって、あいさつはやめようか、と思いました。
しかし、たぶん病気で気が滅入っておられるだけだろう、ひょっとしたら、自分のあいさつの声が大きすぎたり、あるいは心がこもっていなかったり、そんなことがあったかもしれない、と思い返しました。
よいことなら自分一人でも続けよう、そう考えました。
次の日も、次の日も「おはようございます。」
やがて、あいさつを返していただける方が一人二人とあらわれ、やがて病棟の中でのあいさつがごく普通に行われるようになっていきました。


私の病室は6人部屋で、私のベッドは廊下に一番近いところでした。
午後の面会時間になると、ご家族やお子さんなどお見舞いの方が次々と廊下を通っていらっしゃいます。
私は、そんなお見舞客に「こんにちは」と明るくあいさつしました。
お子さんなどは大喜びで「こんにちは!」とあいさつを返してくれました。
そんなとき、私はあたかもパリの街角のカフェで、道行く人々と明るく挨拶をかわしているような、そんな気がしてきました。


西新橋の病院でした。
病棟の窓からは東京タワーの形をしたエッフェル塔、日比谷通りのようにも見えるシャンゼリゼ通りが見えました。
ただあいさつだけで、江戸前のパリの街角が目の前に現れたのです。


いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべてのことについて、感謝しなさい。

(新約聖書「テサロニケ人への手紙第一」第5章16~18節より)


虎猫


2012年9月に東京カベナント教会のブログ「重荷をおろして」に投稿していた記事です。
私が悪性リンパ腫(リンパの癌)という病気にかかり、生まれて初めて入院していた時に書いた記事です。その後も幾度か入院することがありました。
この記事を都度に読み直して自分の心の支えとしてきました。