toranekodoranekoのブログ

虎猫・銅鑼猫など様々なブロガーが参加しているサイトです。クリスチャン、社会保険労務士、多言語活動家、女性キャリア官僚、科学ライター、うるさいばあさんまで、多士済々。お楽しみください。

クリスチャンブロガーが綴るブログです。
明るい高齢化社会、病から得た様々な宝、世の中の動きへの警鐘(銅鑼)を鳴らすこともあります。
ときどき大阪弁も出てくる聖書物語もお楽しみに。
主催者のほか様々な協力者も登場します。

インフルエンザはなぜ恐ろしいのか。

インフルエンザがなおも猛威をふるっているようです。
インフルエンザの感染者は毎年1,000万人程度(!)と推定されています。
しかし、多くの人は免疫があり、体力もあるので、ほとんど発症にすら至りません。発症しても、数日程度苦しい思いをすれば自然に回復します。最近ならタミフルなどでたちまち熱が下がるようです。
重篤化し命を失うのは、高齢の方などが中心です。実際には他の疾患との競合が多く、後で統計的に見て「たぶん日本では1年で1万人くらいがインフルエンザ起因でなくなったのだろう。」と推計されているのが実態です。


私たちには何が問われているのでしょうか。
まず、自らが感染しないように注意すること(手洗い、うがい、マスク。十分な栄養と睡眠で体力をつけることなど。ワクチンだけが武器ではありません)
そして感染した人には、感染した人にしかできないことがあります。自分のところで何とか食い止めるということです。すなわち、他の人に移さないよう最大限の注意を払うことです。体力のある人なら命に関わることはないでしょうが、不用意に外出などすれば体力のない人に致命的な影響を及ぼす可能性があります。それをはっきり認識し、体を張ってご自分のところで感染を食い止めていただきたいのです。
これは、インフルエンザに限った事ではありません。ちょっとした風邪などでも基礎疾患のある人にとっては致命傷になることもあるのです。不用意な外出は避けること、咳をしながら人ごみに出る等もってのほかです。


健康なあなたにとくにお願いします。自分の愛する家族・友人・親戚、国の宝であるお年寄り、未来の希望である子供たち、その希望をおなかに宿した妊婦さん、基礎疾患に悩まされ不安におののく人々、そのような人々へのまなざしと思いやりをどうか忘れないでください。自分より弱い人に感染させたら致命傷になりかねないことを肝に銘じていただきたいのです。



「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」 (新約聖書マタイの福音書19章19節)


虎猫

そのときどうする?(「喜びの力」実践編)

このブログは2010年10月に東京カベナント教会のブログ「重荷をおろして」に掲載したものです。在職中の忙しいとき、気が滅入りそうになるときに、読み返して自らを励ましていました。どうか、ちょっと手を止めて読んでみてください。


Q1.忙しいですか?」と職場で聞かれたら?
A1.「商売繁盛です!」と明るく答えましょう。
ウソではありません。正真正銘の真実です。仕事がある、それもやりたい放題いくらでもある。こんな素敵なことはありません。


Q2.気持ちが沈むときは?
A2.元気な人の姿を見ましょう。
ある朝、今日が締切りなのに仕事が進まず、悶々とした思いで通勤のバスを待っていました。そのとき、軽トラックを運転しているガテン系のお兄さんが、信号をにらみながら朝食のパンにかぶりついているのが見えました。
「お兄さんがんばれよ。」と心の中で声をかけ、自分も気が楽になっているのを感じました。「お兄さんがんばれよ。おれも頑張るからね!」


Q3.それでもどうしようもないほど落ち込んでしまっているときは?
A3.つらい時こそ、とびきりの笑顔で明るくふるまい、周りの人を明るくすること。
明るくなった周りの人が逆にあなたを照らしてくれます。
うまくいかなかったら、もっと明るくもう一度試してみましょう。
それでだめなら、今日はあきらめて、明日また試しましょう!


中学校の剣道部の部室にこんな言葉が張り出されていました。
「心を持って形を正し、形を持って心を正せ。」
辛いときにこそ、喜びの形を示しましょう。それが喜びの心をもたらします。


「あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば家にいる人々全部を照らします。」(新約聖書マタイの福音書5章15節)


虎猫

日経新聞への掲載「ヤミ残業は不正の温床になる。」

1月30日日経新聞朝刊17面に銅鑼猫の投稿「ヤミ残業は不正の温床になる。」が掲載されています。
日本公認不正検査士協会から発行予定の教材「不祥事・不正は他人ごとではない」の一部をもとに、経営者向けのメッセージの形に整理したものです。是非ご一読ください。


【参考:記事全文】
 電通の女性社員の過労自殺から経営者は何を教訓にすべきだろうか。少なくとも2つの問題を見据えるべきだ。
 1つは時間外勤務の過少申告、すなわち「ヤミ残業」の問題だ。我が国ではこれが横行しているとみられるが、なぜ問題なのか、経営者から若手社員までが本当に理解しているだろうか。
 事実の正確な把握と報告はビジネスの基本だ。残業や早出など時間外勤務の実態把握は、職場の人員配置、業務効率などの判断に欠かせない経営情報だ。虚偽報告は経営判断を誤らせてしまう。
 さらにヤミ残業を許す風土は事実を正確に報告しない社風も生みかねない。ヤミ残業を「会社への忠誠心の表れ」と考える社員もいるようだが、大間違いだ。効率よく仕事をしているかのように経営者をだましているのだ。ヤミ残業を許すのは嘘を許すことであり、不正の温床にもなりかねない。
 ヤミ残業の根絶は厳格な管理だけでは難しく、個々の社員の意識にかかっている。経営者は明確なメッセージを繰り返し出すべきだ。「ヤミ残業は許さない。時間外勤務の実態を正確に申告しない者は会社を裏切るものである」。ここまで言い切るべきだ。
 2つ目はハラスメントの問題だ。組織は人で動いている。管理職は部下を人として尊重し、誇りを持って仕事ができるよう大切に扱わねばならない。その対極の例が電通事件だ。大切な若い社員を人として扱わず、個人の尊厳を踏みにじった。
 職場のハラスメントの定義は法的に様々な議論があるが、その本質は「社員相互の信頼・尊重をむしばむ行動」と見るべきだろう。ハラスメントは社員を罵倒し、からかい、あるいは陰口の対象にすることだ。これは社内の信頼・尊重の気風を蝕み、士気を損なう。やがては、例えば顧客を金もうけの手段としてだけ扱うなど、顧客や社会を軽んじる姿勢をも生みかねない。経営者はこの危険性をしっかり認識すべきだ。
 経営者は自らの会社をどの方向に導きたいのだろうか。嘘とごまかし、罵りと嘲りの横行する会社か。あるいは真実がちゅうちょなく語られ、社員が互いに尊重し助け合う会社か、いずれだろうか。
 真実を語る社員を守り、社員を人として尊重する。まともな経営者なら必ず行うべき行動が、会社を明るく元気にし、社会から尊敬される会社へと変えていく。
以上


銅鑼猫

中央線の勇士たち(「権限なきリーダーシップ」の実例)

朝の9時。荻窪から中央線に乗りました。御茶ノ水で仕事の打合せをするためです。
電車はかなり混んでおり、私も通路近く何とか吊り革にぶら下がって立っていました。
突然、近くの若い女性がうずくまりました。そのまま立ち上がれないようでした。少しためらいましたが、女性の側にひざまずいて声をかけました。「次の駅で降りますか。」女性は首を振って「いえ、降りたら会社に遅れます。」
でも、うずくまったままです。もう一度声をかけました。「席に座りますか?」女性はうなずきました。
私は立ち上がって、周りの人に大きな声で呼びかけました。「お加減の悪い方がいらっしゃいます!どなたか席を譲ってあげていただけませんか!」
座席に座っていた数人の方が一斉に立ち上がり、席を譲ろうとします。その中の若い男性が最終的に立ち上がり、周りの人も席を替わって、入口近くの席を空けていただきました。私は女性の手を引いて、席に案内しました。1人では席まで行けないようにも思えたからです。
その後、女性の様子を時々見ていました。万一、さらに容態が悪くなることがないか、と心配したからです。隣の席の中年の女性も心配そうに声をかけていらっしゃいました。幸い、元気を取り戻されたようで、御茶ノ水で降りるときに私が会釈すると、会釈を返していただきました。


不思議だったのは、この一連の動作を、躊躇いもなく、日常の動作のようにできたことです。こんな時、後で心臓がドキドキするかと思ったのですが、それもありません。
後で考えてみました。
自分自身がここ数年で3度ほど緊急入院しました。具合が悪い時に周りの人の手助けが必要なことがあります。その経験から、具合の悪い人の気持ちを理解し、躊躇せずに必要な行動ができるように、鍛えられてきたのではないか。
そしてもうひとつ、この国では、1人が声をかければ周りの人は必ず動きます。女性の様子を見ていた人は沢山いたはずです。心配してどうしようかと思っておられたのです。誰かがひと声かけるだけで、一斉に行動できる心の準備はできているのです。私はきっかけを作っただけなのです。


私には夢があります。あの時の私の行動、周りの人々の思いやりが語り伝えられ、同じような時にためらわずに行動する勇士たちが次々と起こされることを。


「受けるよりも与えるほうが幸いである」 (新約聖書使徒行伝20章35節より)


【注】2016年11月に東京カベナント教会ブログ「重荷をおろして」に投稿していた記事です。先日投稿した「権限なきリーダーシップ」の好例と思いましたので、改めて投稿してみました。

虎猫

介護老人体験記

三毛猫の三毛「虎猫おじさん、入院したんだって?もう大丈夫なの?」
虎猫「ありがとう。お陰様で何とか治ったよ。危うくICUに入れられるところだったんだ。」
三毛「え!ICU?キャー、素敵!」
虎「?」
三毛「だってICUでしょ。国際基督教大学でしょ。佳子様に会えるかもしれないじゃん!」
虎「それはICU違い!『国際基督教大学(International Christian University)』じゃなくて、おじさんが入れられそうだったのは『集中治療室(Intensive Care Unit)』だよ。」
三毛「なんだ、つまんない。」
虎「三毛ちゃんにとってはつまらないかもしれないけれど、おじさんは大変だったんだぞ。」
三毛「どんなふうに大変だったの。お医者さんや看護師さんに徹底的にお世話されて、上げ膳据え膳、左団扇の別荘生活じゃないの?」
虎「とんでもない。いいかい三毛ちゃん。三毛ちゃんはおしっこやウンチはトイレでするかい、それともベッドでするかい?」
三毛「ちょっと、おじさん、レディに向かって何言うのよ!トイレでするに決まってます!」
虎「おじさんは立つことも歩くこともできなかったんだ。おしっこは管を通され、ウンチは看護師さんに頼んでおまるを当ててもらうんだ。」
三毛「や、ヤダ、最低!なによ、それ!おじさん本当にそんなになっちゃったの?」
虎「そうだよ。寝たきりで介護を受けるお年寄りはこんな感じなのか、ひしひしとわかったよ。看護師さんは嫌な顔一つ見せずにおまるをあててくれたけれど、早く自分でトイレに行きたい、こんな生活早く終えたい、と思ったよ。これがもし一生続くと思ったら、とても耐えられない、そう思った。」
三毛「・・・」
虎「きっと神様は介護を受ける人の気持ちがわかるように、こんな試練をくださったのかもしれない。そう考えるようにしたよ。」
三毛「う~む・・おじさんって、すごい・・」
虎「晴れて車椅子でトイレに行けた時のうれしさ、やがて、一人で看護師さんの助けを借りずにトイレに行けた時の感激、わかるかい?」
三毛「わかんない、簡単にわかるものじゃなさそう。」
虎「ご飯のことも話しておこう。」
三毛「おじさんって、大食漢で有名よ。いつも教会のランチをおかわりしているじゃない。」
虎「その大食漢が、ご飯など全く食べられなかった。点滴で栄養を取るんだ。」
三毛「時にはダイエットもいいものよ」
虎「勝手なことを言うね。なんとか数日で食事ができるようになった。たぶん食べられないだろうな、と思っていたよ。
でも出てきたのは、ご飯は全粥だったけれど、おかずは普通の物だった。ナスのしぎやき(ナスの味噌田楽)、そして焼き魚。そのしぎやきを食べたとたん、こんなおいしいものがある!と感激したね。ところが看護師さんがやってきて『血液中の酸素量が不足しています。食事をすると一時的に呼吸を止めているんですよ。普段ならなんでもないでしょうけれど、一口食べたら、2~3回深呼吸してください。酸素の量も増やしておきます。』と言われたんだ。」
三毛「何よ、おじさん。酸素吸入までしていたの?」
虎「そうだよ。鼻にチューブを当てて、酸素を補っていたんだ。ご飯のときは一口食べたら2~3回深呼吸、酸素量もワンランクアップ、自分でも酸素モニターを見てチェックしながら、少しずつ食べたんだよ。」
三毛「そんなんじゃ、味もわからないでしょう。」
虎「いや、ちゃんとわかったよ。この一口、一口が命のもとになるんだ、大切に大切に味わって食べたから、とてもおいしかったよ。」
虎「やがて車椅子に座って起きていることができるようになった。なにしろ、1週間寝たきりだったからね。だいぶ回復して、看護師さんに付き添っていただいて歩行訓練を始めた。そんなふうにして一歩一歩回復していったんだよ。」
三毛「でもよかった。ちゃんと治ったんだね。」
虎「治りだすと早かったよ。今日からおしっこの管は取りましょう、今日から酸素もいりません、今日から点滴は不要です。そして、挙句の果てに『明日退院していただいていいですよ。』そこまで準備はできなかったので、『後3日ほど待ってください。』と頼んだんだ。それくらいゆっくりしていてよかったと思うよ。その3日でさらに歩行訓練をして、日常生活復帰に支障がないようにできたんだ。」
三毛「大変な体験だったのね。でも、早く治ってよかった。」
虎「決め手は10月18日のマウント・オリーブ・ミニストリーズ代表の中野雄一郎先生のメッセージだった。インターネット礼拝でお話を伺っていたんだ。その中で先生がおっしゃっていたよ。
『病にかかると、「神様、早く治してください。」と祈りがちですが、これは、自分の目が病に向いてしまっているのです。
病の回復の早い人には共通の特徴があります。
「治ったら何をするか」が分かっていること、即ち病後に目を向けていることです。』
そうだ、自分にはやるべきことがあるんだ!そう思った。
『退院していいですよ』と言われたのはその翌日だったんだ。」


三毛「おじさん。佳子様には会えなかったけれど、神様に会えたのね。」
虎「・・・・・(涙)」


2015年11月、急な病から幸いに退院できた時に東京カベナント教会ブログ「重荷をおろして」に投稿した記事です。
1年以上経過し、幸い健康が守られている今、改めて投稿してみました。