toranekodoranekoのブログ

虎猫・銅鑼猫など様々なブロガーが参加しているサイトです。クリスチャン、社会保険労務士、多言語活動家、女性キャリア官僚、科学ライター、うるさいばあさんまで、多士済々。お楽しみください。

クリスチャンブロガーが綴るブログです。
明るい高齢化社会、病から得た様々な宝、世の中の動きへの警鐘(銅鑼)を鳴らすこともあります。
ときどき大阪弁も出てくる聖書物語もお楽しみに。
主催者のほか様々な協力者も登場します。

技師の思い出

私がはじめて中井さんを訪ねたのは2年前。
私の勤める団体は、引退した技術者から昔の話を聞き取って記録し次世代に生かす、という仕事をしている。
おじいさんが多いが、おばあさんもいらっしゃる。
現役時代の思い出話をともかく自由に語っていただく、その中に多くのヒントがある、というのだ。聞き取りの担当者は若い女性が多い。孫娘に語るような気楽さで、語っていただけるからだという。


技術を聞き取る基本的な知識、何よりも、心をほぐし自由に語っていただくための方法は導入教育で教えられ、先輩と一緒にいろいろな方とお会いして実践で鍛え上げられた。
私が独り立ちして初めてお会いしたのが中井さんだった。中井さんはとても気難しそうな感じを受けた。
「誠意、そして感動と感謝の気持ち」そう教えられた先輩の言葉を胸に刻んで、2度、3度と伺ううちに「次はいつ来てくれるんだ。」と中井さんが恥ずかしそうに尋ねてこられた。
この人は気難しいのではない、ちょっと恥ずかしがり屋さんなのだ、そうわかったとき、なんだか飛び上がりたくなるほど嬉しくなった。
次に伺うと、難しい字や算式や図表がいっぱい並んだ黄ばんだノートを取り出してこられた。
そして「この話は墓場まで持っていこうと思っていたんだ。でもあんたなら聞いてもらえる。」そうおっしゃいながら、昔の失敗談、辛うじて防げた事故、防げなかった事故・・
次々と話された。
私がすべてを理解できるわけではない。でも、わかったふりはいけない。しっかりと疑問を口にする、ひたすら謙虚に尋ねる、それを繰り返すうちに、今度は新しい紙を一抱え持ってこられて、次々と図を描き、算式を補って、最後には、人や機械のイラストまで描きこんで、熱に浮かされたように説明を続けられた。
そのようにして、週に一度、二度とお会いして半年以上たった。


別れは突然だった。中井さんは急になくなった。
私が弔問に伺うと、奥様に別室へ案内された。
「阿部さん。本当にありがとう。」奥様が微笑みながらおっしゃる。
「あの人は自分の寿命がわかっていたんですよ。余命2か月とお医者様からいわれていたのです。でも、あなたにお会いして、毎週来ていただけるのを楽しみにしているうちにお医者様も驚くほど元気を取り戻していったの。」
「阿部さん。このノート。私にも見せてくれなかったし、見てもわからなかったと思います。あなたなら、きっと役に立てていただけるでしょう。
あの人の最後の言葉がね・・『ノートをあの子に』だったんですよ。
自分の命を懸けた仕事を若い人に伝えたい。その思いだけで命を延ばしたのね。
きっと一生で一番楽しい時を過ごせたと思いますよ。」
そうおっしゃりながら、あのノートを私に差出して、静かに頭を下げられた。
ノートには新しい染みがいくつかあった。


中井さん。あなたの思いは私がきっと伝えます。どうか見守っていてください。
そう心に刻みながら、ご自宅を辞した。
そのとき、急に声が聞こえた。「任せたぞ!」
周りには誰もいなかった。


「彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。」(詩編92編14節)


阿部吉江

英語とロシア語の違い?

少し前のことですが、3月16日に、イアン・ブレマー さんという地政学(Geopolitics:ジオポリティクス)の専門家のセミナーに行ったことがあります。
「2016年世界の10大リスク」というおどろおどろしいテーマ。
日興アセットマネジメント社主催。


その中でこんなやり取りがありました。


質問:
いま日本人がすべきことはなんでしょうか。
答:
言葉は問題ではない。ソフトがどんどん進化して同時通訳ソフトも現れてきている。
同時通訳の皆さんは別の仕事を探したほうが良いですよ。
言葉だけでは他国の人の頭に入ることはできません。
相手の気持ちになる姿勢、他人とのコミュニケーション能力こそが求められます。


英語には英語の特殊性があります。私はロシア語もできるので、ロシア語との違いをご説明しましょう。
英語では「私はこれが好きだ。」こんな言い方をします。能動態です。英語はナルシシスティック【narcissistic】(自己愛的。自己陶酔的)な言語なのです。
ロシア語ならば受身で表現します。
「これは私にとってよい。」といった言い方になります。
このような自分と異なる世界観を持った人と接することです。
自分と違う世界観を持った人を理解できるかどうかです。


【ニックより皆さんへ】
多言語を学んでいる皆さんなら、このロシア語の感じ分かりますか?
1年ばかり多言語を学んだニックにはとても分かりません。
でも、このような各言語の特徴を知ることは文化を理解することにつながるのでしょう。
逆に言えば、英語だけねじり鉢巻きで勉強すると、その世界観だけに取り憑かれてしまうのかもしれませんね。


【アーニャより】
ニックパーパチカのロシア語の勉強と言ったら、日本語に無理にオヤジギャグ風にこじつけるだけなんです。「もちろん」「いいよ」というロシア語は「カニアシダ」と聞こえるので、「ロシア語はもちろん蟹足だ!」なんて、乱暴な覚え方をしています。
最近「ミッションインポッシブル」のDVDで、ロシアの悪役がロシア語で仲間に電話しているシーンがありました。「お前が探していたアメリカ人(主人公イーサン・ハント)がいるだろう。もちろん連れて行ってやる。」といった字幕でした。
そのシーンでニックパーパチカは、「そらみろ!『カニアシダ』と言っているのが聞こえたぞ。ロシア語はもちろん蟹足だ!」とひとりで喜んでいました。
でも、ちょっとだけでも知っていると何となくロシアが近くなる気持ちになりますね。
そんなことからでも、少しずつ多言語・多文化を学んでいけばいいのかもしれません。


ニック&アーニャ

クリスマスの選択

いよいよクリスマス。
この時期に本当にふさわしい本をご紹介します。
J.D.クロッサン/M.J.ボーグ著 浅野淳博訳
「最初のクリスマス―福音書が語るイエス誕生物語」



その当時「神の子」「主」「解放者」「救い主」と呼ばれる人がいました。
ひとりはローマ帝国の皇帝でした。もうひとりはイエス・キリストでした。


本書は、この両者を比較しながら、クリスマスの本当の意味を問いかけます。
「神々しいアウグストゥスのうちに具現化されるローマ帝国の思いは、勝利を通した平和実現です。神の子イエスのうちに具現化されるキリスト者の思いは、正義を通した平和実現です。同じ大義と同じ称号を有する二人の主の衝突は、この一点において著しく異なるのです。」
「私たちの世界が直面している悲惨な現実は、勝利が決して平和をもたらさない、ということです。(中略)ただ一時的に反対勢力を抑えるのみです。したがって暴力は、以前にもまして増大します。武器を手に持つ平和志向は、暴力を増大してきただけです。」(本書210頁より)
「本当の意味で地に平和をもたらすのはカエサルでしょうか、キリストでしょうか。すなわち、平和は暴力的勝利主義によってもたらされるのでしょうか。あるいは非暴力的な正義によってもたらされるべきものでしょうか。四旬節(イースター前の6週間)と同様に、アドベント(待降節)の季節にも、私たちはいかに生きるべきか、その選択を迫られているのです。その生き様は、個人生活に関わるだけでなく、私たちが国家に対していかに関わるか、また国際社会に対していかに関わるかをも左右するのです。」(同211頁より)


帝国がもたらす平和とは何でしょうか。
「略奪し殺戮し強奪することを、偽りの名で支配と呼び、無人の野を作ると平和と呼ぶ。」
(本書241頁:ローマ人史家タキトゥスがローマ帝国と対峙した国の将軍の言葉として伝えている)


では私たちが求める平和とは何でしょうか。
著者は「終末」とは何かという箇所で次のように論じます。
「『終末』とはこの世界が神の刷新を体験することです。(中略)この世で絶え間なく繰り返される戦争、暴力、不正、搾取が消滅することです。終末はこの世の破滅ではなく、刷新です。正義と平和の世が実現することなのです。」
「私たちは神とともにこのような刷新をもたらしますが、同時にこの業が神なしには成しえないことも十分に理解しています。」
そして、著者は聖アウグスティヌスの格言を紹介します。
『我らなくして神は成さず、神なくして我らは成せず。』(本書298~300頁)


神は、私たちが自らの意思で自らの生き方、行動を選び取るように求めておられます。
本当のクリスマスが私たちに何を求めているのか、いかなる選択を迫っているのか、改めて考えてみましょう。


虎猫


(注)この記事は東京カベナント教会のブログ「重荷をおろして」に2012年12月に投稿したものですが、ちょうどふさわしい時期なので改めて投稿いたしました。

クリスマス小話(2)三人の訪問者

東方の三博士がイエス様を礼拝したときのお話です。(東方の三博士がイエス様を礼拝したのがイエス様が公に現れた、いわばメジャーデビューされたとき、とされます。これを「公現」そのお祝いが「公現節」です。)


冬の寒い夜でした。
私がそろそろ戸締りしようと外に出たとき、馬に乗った立派な身なりの三人の方がいらっしゃいました。ちょっと珍しい服装でしたが、身分のある方と一目でわかりました。
「奥さん、申し訳ありませんが、馬に水を頂けませんか、私たちにも一杯。」
「旦那様方、こんな寒い日に、ずいぶん遠くからおいでのようですね。さあどうぞ。でもどちらまでいらっしゃるので?」
「ええ、ベツレヘムまで参ります。」
「ベツレヘムはもうすぐですけど、最近は皇帝さまのお触れで、住民登録をする人でごった返していますよ。宿屋なんかみんな満員御礼で。
もう夜も更けたことですし、よかったら、今夜はうちでお泊りになって、明日ベツレヘムにいらっしゃったらいかがですか。」
「奥さん。ご親切ありがとうございます。でも私たちの旅ももうすぐ終わりで、先を急ぎますので。」
「でもベツレヘムでは本当に宿はありませんよ。知り合いの宿屋のおかみさんに聞いたんですけど、ついこの間、若夫婦が来られて、奥さんはもうすぐ赤ちゃんが生まれるというのに、部屋がなくて、馬小屋に泊まって、その夜に急に産気づいたそうですよ。 ちょうどやってきた羊飼いの衆に頼んで『やれ産婆さん呼んで!』『それお湯沸かして!』って大騒ぎだったとか。」
三人の旦那様たちは、顔を見合わせました。
「それでどうなりました。赤ちゃんは無事で?」
「ええ、もう玉のようなかわいい赤ちゃんで、飼い葉桶に寝かせるしかなかったんですけど、まあ気の毒というか喜ばしいというか・・」
旦那様たちはそれだけ聞くと馬にまたがりました。
「奥さん、本当にご親切にありがとうございます。私たちはこれで失礼いたします。」
そして、ベツレヘムへの道を早足で駆けていらっしゃいました。
(マタイの福音書第2章1節から12節より)


虎猫


【虎猫からのご挨拶】
以上2つの小話は、虎猫が東京カベナント教会のブログ「重荷をおろしてに掲載していたものですが、新しいブログへの掲載についても同教会にて快諾いただきました。
「重荷をおろして」に掲載していた記事は、これからもこのブログで少しずつ紹介して参ります。また、取り纏めて出版することも計画中です。

クリスマス小話(1)羊飼いの星

ニックさんアーニャさん、素敵なクリスマス知識をありがとうございます。
お礼までに、クリスマス小話を2つお届けします。
一つは12月25日イエス様のお生まれの時のお話、今一つは東方の三博士がイエス様を礼拝したときのお話です。


羊飼い達が野原で羊の番をしていました。
新入りの羊飼い「先輩、寒いですね。早く夜が明けませんかね。」
先輩「こら!根性なし。これくらいの寒さがなんや。冬の寒い夜は星がきれいやから、しっかり星の勉強せえ。羊飼いが野原で迷っても星を見ることができたら方角がわかるんや。」
新入り「へえ・・」
先輩「情けない声出すな。ええか、あそこの赤い星がオリオン座のペテルギウス、白い星が大犬座のシリウス、小犬座のプロキシオンと結んで冬の大三角形。まずここからスタートやな。」
新入り「ひえー先輩詳しいんですね。じゃあ、あそこにとてもきれいな星がありますね。あれは何ですか。」
先輩「おお、あれか、あれは・・あれは・・あれ?」
新入り「あの星の名前が『アレ』ですか。」
先輩「いやちょっと待て、あんな星見たことないぞ。星の新入りかいな。」
新入り「星にも新入りがおりますのか。」
先輩「・・・」
新入り「ひえー!急にすごく明るくなって・・こわいです、先輩!」
先輩「これは・・これは・・」


羊飼いよ。恐れることはない。今日ダビデの町で救い主が生まれた。
お前たちは飼い葉おけに寝ておられるみどりごを見つける。
これがお前たちのためのしるしだ。
「いと高き所に栄光、神にあれ」
「地には平和、人とともにあれ」


先輩「さあ、行くぞ。」
新入り「どこへ?」
先輩「ダビデの町、ベツレヘムへ!」


(ルカの福音書第2章8節から20節より)


虎猫