技師の思い出
私がはじめて中井さんを訪ねたのは2年前。
私の勤める団体は、引退した技術者から昔の話を聞き取って記録し次世代に生かす、という仕事をしている。
おじいさんが多いが、おばあさんもいらっしゃる。
現役時代の思い出話をともかく自由に語っていただく、その中に多くのヒントがある、というのだ。聞き取りの担当者は若い女性が多い。孫娘に語るような気楽さで、語っていただけるからだという。
技術を聞き取る基本的な知識、何よりも、心をほぐし自由に語っていただくための方法は導入教育で教えられ、先輩と一緒にいろいろな方とお会いして実践で鍛え上げられた。
私が独り立ちして初めてお会いしたのが中井さんだった。中井さんはとても気難しそうな感じを受けた。
「誠意、そして感動と感謝の気持ち」そう教えられた先輩の言葉を胸に刻んで、2度、3度と伺ううちに「次はいつ来てくれるんだ。」と中井さんが恥ずかしそうに尋ねてこられた。
この人は気難しいのではない、ちょっと恥ずかしがり屋さんなのだ、そうわかったとき、なんだか飛び上がりたくなるほど嬉しくなった。
次に伺うと、難しい字や算式や図表がいっぱい並んだ黄ばんだノートを取り出してこられた。
そして「この話は墓場まで持っていこうと思っていたんだ。でもあんたなら聞いてもらえる。」そうおっしゃいながら、昔の失敗談、辛うじて防げた事故、防げなかった事故・・
次々と話された。
私がすべてを理解できるわけではない。でも、わかったふりはいけない。しっかりと疑問を口にする、ひたすら謙虚に尋ねる、それを繰り返すうちに、今度は新しい紙を一抱え持ってこられて、次々と図を描き、算式を補って、最後には、人や機械のイラストまで描きこんで、熱に浮かされたように説明を続けられた。
そのようにして、週に一度、二度とお会いして半年以上たった。
別れは突然だった。中井さんは急になくなった。
私が弔問に伺うと、奥様に別室へ案内された。
「阿部さん。本当にありがとう。」奥様が微笑みながらおっしゃる。
「あの人は自分の寿命がわかっていたんですよ。余命2か月とお医者様からいわれていたのです。でも、あなたにお会いして、毎週来ていただけるのを楽しみにしているうちにお医者様も驚くほど元気を取り戻していったの。」
「阿部さん。このノート。私にも見せてくれなかったし、見てもわからなかったと思います。あなたなら、きっと役に立てていただけるでしょう。
あの人の最後の言葉がね・・『ノートをあの子に』だったんですよ。
自分の命を懸けた仕事を若い人に伝えたい。その思いだけで命を延ばしたのね。
きっと一生で一番楽しい時を過ごせたと思いますよ。」
そうおっしゃりながら、あのノートを私に差出して、静かに頭を下げられた。
ノートには新しい染みがいくつかあった。
中井さん。あなたの思いは私がきっと伝えます。どうか見守っていてください。
そう心に刻みながら、ご自宅を辞した。
そのとき、急に声が聞こえた。「任せたぞ!」
周りには誰もいなかった。
「彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。」(詩編92編14節)
阿部吉江