toranekodoranekoのブログ

虎猫・銅鑼猫など様々なブロガーが参加しているサイトです。クリスチャン、社会保険労務士、多言語活動家、女性キャリア官僚、科学ライター、うるさいばあさんまで、多士済々。お楽しみください。

クリスチャンブロガーが綴るブログです。
明るい高齢化社会、病から得た様々な宝、世の中の動きへの警鐘(銅鑼)を鳴らすこともあります。
ときどき大阪弁も出てくる聖書物語もお楽しみに。
主催者のほか様々な協力者も登場します。

クリスマスの選択

いよいよクリスマス。
この時期に本当にふさわしい本をご紹介します。
J.D.クロッサン/M.J.ボーグ著 浅野淳博訳
「最初のクリスマス―福音書が語るイエス誕生物語」



その当時「神の子」「主」「解放者」「救い主」と呼ばれる人がいました。
ひとりはローマ帝国の皇帝でした。もうひとりはイエス・キリストでした。


本書は、この両者を比較しながら、クリスマスの本当の意味を問いかけます。
「神々しいアウグストゥスのうちに具現化されるローマ帝国の思いは、勝利を通した平和実現です。神の子イエスのうちに具現化されるキリスト者の思いは、正義を通した平和実現です。同じ大義と同じ称号を有する二人の主の衝突は、この一点において著しく異なるのです。」
「私たちの世界が直面している悲惨な現実は、勝利が決して平和をもたらさない、ということです。(中略)ただ一時的に反対勢力を抑えるのみです。したがって暴力は、以前にもまして増大します。武器を手に持つ平和志向は、暴力を増大してきただけです。」(本書210頁より)
「本当の意味で地に平和をもたらすのはカエサルでしょうか、キリストでしょうか。すなわち、平和は暴力的勝利主義によってもたらされるのでしょうか。あるいは非暴力的な正義によってもたらされるべきものでしょうか。四旬節(イースター前の6週間)と同様に、アドベント(待降節)の季節にも、私たちはいかに生きるべきか、その選択を迫られているのです。その生き様は、個人生活に関わるだけでなく、私たちが国家に対していかに関わるか、また国際社会に対していかに関わるかをも左右するのです。」(同211頁より)


帝国がもたらす平和とは何でしょうか。
「略奪し殺戮し強奪することを、偽りの名で支配と呼び、無人の野を作ると平和と呼ぶ。」
(本書241頁:ローマ人史家タキトゥスがローマ帝国と対峙した国の将軍の言葉として伝えている)


では私たちが求める平和とは何でしょうか。
著者は「終末」とは何かという箇所で次のように論じます。
「『終末』とはこの世界が神の刷新を体験することです。(中略)この世で絶え間なく繰り返される戦争、暴力、不正、搾取が消滅することです。終末はこの世の破滅ではなく、刷新です。正義と平和の世が実現することなのです。」
「私たちは神とともにこのような刷新をもたらしますが、同時にこの業が神なしには成しえないことも十分に理解しています。」
そして、著者は聖アウグスティヌスの格言を紹介します。
『我らなくして神は成さず、神なくして我らは成せず。』(本書298~300頁)


神は、私たちが自らの意思で自らの生き方、行動を選び取るように求めておられます。
本当のクリスマスが私たちに何を求めているのか、いかなる選択を迫っているのか、改めて考えてみましょう。


虎猫


(注)この記事は東京カベナント教会のブログ「重荷をおろして」に2012年12月に投稿したものですが、ちょうどふさわしい時期なので改めて投稿いたしました。

クリスマス小話(2)三人の訪問者

東方の三博士がイエス様を礼拝したときのお話です。(東方の三博士がイエス様を礼拝したのがイエス様が公に現れた、いわばメジャーデビューされたとき、とされます。これを「公現」そのお祝いが「公現節」です。)


冬の寒い夜でした。
私がそろそろ戸締りしようと外に出たとき、馬に乗った立派な身なりの三人の方がいらっしゃいました。ちょっと珍しい服装でしたが、身分のある方と一目でわかりました。
「奥さん、申し訳ありませんが、馬に水を頂けませんか、私たちにも一杯。」
「旦那様方、こんな寒い日に、ずいぶん遠くからおいでのようですね。さあどうぞ。でもどちらまでいらっしゃるので?」
「ええ、ベツレヘムまで参ります。」
「ベツレヘムはもうすぐですけど、最近は皇帝さまのお触れで、住民登録をする人でごった返していますよ。宿屋なんかみんな満員御礼で。
もう夜も更けたことですし、よかったら、今夜はうちでお泊りになって、明日ベツレヘムにいらっしゃったらいかがですか。」
「奥さん。ご親切ありがとうございます。でも私たちの旅ももうすぐ終わりで、先を急ぎますので。」
「でもベツレヘムでは本当に宿はありませんよ。知り合いの宿屋のおかみさんに聞いたんですけど、ついこの間、若夫婦が来られて、奥さんはもうすぐ赤ちゃんが生まれるというのに、部屋がなくて、馬小屋に泊まって、その夜に急に産気づいたそうですよ。 ちょうどやってきた羊飼いの衆に頼んで『やれ産婆さん呼んで!』『それお湯沸かして!』って大騒ぎだったとか。」
三人の旦那様たちは、顔を見合わせました。
「それでどうなりました。赤ちゃんは無事で?」
「ええ、もう玉のようなかわいい赤ちゃんで、飼い葉桶に寝かせるしかなかったんですけど、まあ気の毒というか喜ばしいというか・・」
旦那様たちはそれだけ聞くと馬にまたがりました。
「奥さん、本当にご親切にありがとうございます。私たちはこれで失礼いたします。」
そして、ベツレヘムへの道を早足で駆けていらっしゃいました。
(マタイの福音書第2章1節から12節より)


虎猫


【虎猫からのご挨拶】
以上2つの小話は、虎猫が東京カベナント教会のブログ「重荷をおろしてに掲載していたものですが、新しいブログへの掲載についても同教会にて快諾いただきました。
「重荷をおろして」に掲載していた記事は、これからもこのブログで少しずつ紹介して参ります。また、取り纏めて出版することも計画中です。

クリスマス小話(1)羊飼いの星

ニックさんアーニャさん、素敵なクリスマス知識をありがとうございます。
お礼までに、クリスマス小話を2つお届けします。
一つは12月25日イエス様のお生まれの時のお話、今一つは東方の三博士がイエス様を礼拝したときのお話です。


羊飼い達が野原で羊の番をしていました。
新入りの羊飼い「先輩、寒いですね。早く夜が明けませんかね。」
先輩「こら!根性なし。これくらいの寒さがなんや。冬の寒い夜は星がきれいやから、しっかり星の勉強せえ。羊飼いが野原で迷っても星を見ることができたら方角がわかるんや。」
新入り「へえ・・」
先輩「情けない声出すな。ええか、あそこの赤い星がオリオン座のペテルギウス、白い星が大犬座のシリウス、小犬座のプロキシオンと結んで冬の大三角形。まずここからスタートやな。」
新入り「ひえー先輩詳しいんですね。じゃあ、あそこにとてもきれいな星がありますね。あれは何ですか。」
先輩「おお、あれか、あれは・・あれは・・あれ?」
新入り「あの星の名前が『アレ』ですか。」
先輩「いやちょっと待て、あんな星見たことないぞ。星の新入りかいな。」
新入り「星にも新入りがおりますのか。」
先輩「・・・」
新入り「ひえー!急にすごく明るくなって・・こわいです、先輩!」
先輩「これは・・これは・・」


羊飼いよ。恐れることはない。今日ダビデの町で救い主が生まれた。
お前たちは飼い葉おけに寝ておられるみどりごを見つける。
これがお前たちのためのしるしだ。
「いと高き所に栄光、神にあれ」
「地には平和、人とともにあれ」


先輩「さあ、行くぞ。」
新入り「どこへ?」
先輩「ダビデの町、ベツレヘムへ!」


(ルカの福音書第2章8節から20節より)


虎猫

ロシアとメキシコのクリスマス(ニック&アーニャ)

【注】2016年の第1アドベント(待降節)に投稿した記事です。


 クリスマス(降誕祭)の4つ前の日曜日からが、イエス様の降誕を待ち望むアドベント(待降節)です。本日11月27日(日)が第1アドベントです。各教会で催しが持たれたことでしょう。
多言語広場セルラスの集いピアザでは、各国の様々な習慣や風俗について時々、クイズをやっています。その中からクリスマスにちなんだ2問を紹介します。


【第1問】ロシアのクリスマスは何日?
【答】ロシアのクリスマスは1月7日!12月25日より2週間遅れです。

「ユリウス歴」を使ってるからだそうです。
これは古代ローマのユリウス・カエサルが制定した太陽暦です。その後1582年に、ローマ教皇ローマ教皇グレゴリウス13世が、太陽年との誤差を修正したグレゴリオ暦を制定・実施し、今日広く使われています。


ロシアのクリスマスについて2つのサイトをご紹介します。素適な写真も沢山載っています。


ロシアの新年&クリスマス
(一部抜粋)
「西側とはなにかと違うロシアの風習。
ロシアのクリスマスは、ヨーロッパより約2週間遅れの1月7日なのです。
これはロシア正教の暦によるもの。西洋諸国ではグレゴリオ暦を使っているので12月25日ですが、ロシア正教ではユリウス暦という古い暦を使っているため1月7日になるのですね。
12/25は、あくまでもカトリックのクリスマスゆえ、ロシアでは、とくに特別な食事や特別なパーティは開かれないようです。ヨーロッパ嗜好の強い人の流行なのか、最近は12/25もクリスマスパーティをする人たちもいるようですが、とても少ないようです。 (ニック注:最近は変わっているようです。次の記事参照)」


ロシアのクリスマスは何だかスゴイ!ロシアが他とは違うところ5つ
(抜粋)「ロシアのクリスマスは12月25日ではなく、1月7日。ロシアの伝統的なロシア正教のクリスマスです。ロシア革命前はユリウス暦が用いられていたため、当時のクリスマスの日を現代の暦に当てはめると1月7日になることから、このようなズレが生まれたと言います。この日は国民の祭日にもなっています。最近はカトリックの12月25日にお祝いをする人も少なからずいるので、ロシアではクリスマスが2回あるとも言われています。」


【第2問】メキシコの子供たちがクリスマスプレゼントをもらうのは何時でしょうか。
【答】1月6日です。

「飲んで食べて踊りまくる?なが~いメキシコのクリスマス」の記事からご紹介します。
メヒコ(メキシコ)では、12月24日から1月6日(東方の三博士がイエス様に礼拝。イエス様が公に現れた最初として「公現」という)まで、長いクリスマスを祝います。
「クリスマス期間が始まった頃に、子どもたちがクリスマスツリーに賢者たちへ宛てた手紙(プレゼントで欲しいもの)をあらかじめ置いておくと、1月6日の朝にそのリクエスト通りのプレゼントがツリーの下に置かれているという、子どもたちにとっては最高に嬉しい日」なのだそうです。
なお、多言語広場セルラスの教材で「メヒコでは新年のカウントダウンで年の数だけブドウを食べる習慣」というのが出てきましたが、実際は12粒でよいそうです。
「新年の街を、喉を詰まらせたお年よりを乗せて救急車が走り回る」なんてことはないそうです。


以下も、先ほどのサイトからの引用です。
「メキシコでは、新年を迎える鐘が鳴っている間にぶどうの粒を食べなければいけないという、おもしろい風習があります。」
「食べる前に年の数だけぶどう粒をたべるのかと思って、びくびくしてましたが、どうやらそうではなく、12粒食べればいいんだと。でも、これが結構大変で、ぶどうを食べながら願い事もとなえないといけないのです(そんな千手観音みたいなことできるか!と思いましたが)。」


ニック&アーニャ

インドネシアの蝶が渋谷に舞い降りてきた。

【登場人物】
ニックパーパチカ:65歳定年退職後、突然、多言語習得を思い立つ。
多言語広場CELULAS(セルラス)に参加。若者たちにまじって悪戦苦闘。ニックがあだ名。パーパチカはロシア語でパパのこと。
アーニャ:本名は明日香。小学校6年生でロシアナホトカに単身で2週間のホームステイを敢行した元気娘。お世話になったロシアのご家庭で「アーニャ」というロシア名をつけてもらい、帰国後もこれをニックネームとする。セルラスの6月の催し「スーパーピアザ(ピアザはイタリア語で広場)」でニックパーパチカと出会い、それ以来、行動をともにする。
Tお姉さん:国際交流基金のプログラムによりインドネシアの高校で日本語クラスのアシスタントを担当。6月に一時帰国して報告会を開く。



今日、ニックパーパチカが面白いところに連れて行ってくれる、というのに、インドネシアから帰ってきたお姉さんのお話を聞く会だなんて、つまんない。
もう帰る!と駄々をこねてしまいました。


でも、ヒジャブ(スカーフ)をかぶった素適なお姉さん(Tさん)が、インドネシアでの体験をインドネシア語で語り出されたとたん、引き込まれてしまいました。
スライドを示しながら、ゼスチャーたっぷりに話される様に、私の目の前にインドネシアの風景、インドネシアの人々の姿が次々と浮かび上がってきたのです。
専門学校の生徒さんたちの年賀状作り、けん玉大会(動画付!)、画面から生徒さんたちが飛び出してきそうでした。
学校の守衛さん、アパートの皆さん、生地屋のおかみさん、そんな人たちとのやりとりが生き生きと目の前に現れてきます。
落っこちてきたマンゴーの話に、思わず手を出して拾いたくなりました。
これらのシーンが、手を大きく差し伸べ、軽やかに飛び上がらんばかりのステップで話される様。
思わずこう口にしてしまいました。
「インドネシアの蝶が渋谷に舞い降りてきた!」


そんな私の様子を、お隣のニックパーパチカは、「どうだ。来てよかっただろう!」という顔で満足そうに見ていました。
パーパチカ、駄々をこねてごめんなさい。心の中でつぶやきました。


(ニック&アーニャ)