toranekodoranekoのブログ

虎猫・銅鑼猫など様々なブロガーが参加しているサイトです。クリスチャン、社会保険労務士、多言語活動家、女性キャリア官僚、科学ライター、うるさいばあさんまで、多士済々。お楽しみください。

クリスチャンブロガーが綴るブログです。
明るい高齢化社会、病から得た様々な宝、世の中の動きへの警鐘(銅鑼)を鳴らすこともあります。
ときどき大阪弁も出てくる聖書物語もお楽しみに。
主催者のほか様々な協力者も登場します。

「葬儀のデスク」掲載の相続記事ご紹介第三弾(遺言書のポイント)


遺言書を作る作る人の注意点・相続人の注意点をまとめた記事です。


主催者「株式会社グッドオフ」様のご依頼で、相続関係の記事を執筆しています。


玉上執筆、アイリス税理士法人・相続贈与相談センターの税理士 城 行永(じょう ゆきひさ)先生に監修いただいています。
「葬儀のデスク」の「終活コラム」に掲載しています。
既に4件ご紹介していますが、今回、さらに1本の記事を掲載いただきました。ご活用ください。


【掲載サイト】



【掲載済みの記事のご紹介】





銅鑼猫(社会保険労務士玉上)

第134回労働判例研究会のお知らせ:令和5年4月13日(木)午後2時~5時

東京都社会保険労務士会の自主研究グループ労働判例研究会の第134回研究会が以下の通り開催されます。ご連絡が遅くなって申し訳ありません。
会員以外の方も参加歓迎いたします。末尾連絡先にご連絡ください。



1、 日時 令和5年4月13日(木) 研究会 午後2時~5時
                                            
2、 会 場 ワイム貸会議室お茶の水Room D &同時Zoomミーティング
  東京都千代田区神田駿河台2-1-20 お茶の水ユニオンビル4F Tel 0120-311-104


3、 研究テーマ
(1)試用期間満了後の本採用拒否の有効性
   ~日本オラクル事件(東京地裁 令和3年11月12日判決)〜    
   報告者 安田 翔太 会員
(2)営業職の事業場外みなしが認められた事例について
  ~セルトリオン・ヘルスケア・ジャパン事件(東京地裁令和4年3月30日判決)~
  報告者 高橋 瑞穂 会員


【連絡先】
労働判例研究会会員:玉上 信明(たまがみ のぶあき)
メール・アドレス:tnjmk0121@m3.gyao.ne.jp
労働判例研究会事務局にお取り次ぎいたします。


銅鑼猫

個人事業主は雇用保険に入れる?従業員の加入条件や必要な手続きについても解説


個人事業主は雇用保険に加入できるのでしょうか。
従業員を雇った場合には、雇用保険をどのように取り扱うのでしょう。
そして、雇用保険でどのような給付が得られるのでしょう。


そもそも、これらを含めた社会保険労働保険の基本はどうなっているのでしょう。


個人事業主は、人に雇われる立場ではないので、社会保険労働保険で保護される範囲が限定されています。
一方で、人を雇う場合には、事業主として厳格な義務が課されています。


そのような全体像をまとめた記事です。


個人事業主を守るための民間保険についても、概観しています。


掲載サイトは、フリーランスのおもいを全部解決!
「フリーナンス」です。



銅鑼猫

棕櫚の聖日・イースターに向けて2023版

(東京カベナント教会の十字架)


今年は、4月2日が棕櫚の聖日、9日がイースターです。

それに相応しいブログをピックアップしました。
毎年この時期に投稿していますが、内容を少し変えております。



ナルドの香油(ヨハネの福音書第12章より)



そのとき、イエス様が手でお弟子様たちを制していわれました。
「この人を責めてはならない。私のためにいまこの人ができることをしてくれたのです。
私の埋葬の用意をしてくれたのです。
あなた方にはっきり言っておきます。
福音が宣べ伝えられるところなら、この人のしたことが伝えられて、この人の記念となるでしょう。」
このイエス様の言葉の本当の意味を知ったのは、それからしばらく後のことでした。


「やがて来る方にー棕櫚の聖日に寄せて」



この詞ではイエス様の声は一切でてきません。
群衆の声に押しつぶされ、ほふり場に引かれていく羊のように口を開かないお姿です
イエス様を砕いて痛めることが主の御心でした。虐げとさばきによって取り去られることが主の御心だったのです(イザヤ書第53章7節、8節、10節)。




ゴルゴタの丘三部作
2017年の棕櫚の聖日、イースターにかけてゴルゴダの丘三部作を投稿いたしました。
改めてご紹介します。
お読みいただければ、隊長、副官、兵士、と登場人物が変わっていくつどに、ゴルゴタの丘の意味、十字架の意味が少しずつ解き明かされるようになっています。







ガザの洗礼(使徒の働き第8章より)



「『私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの自分勝手な道に向かっていった。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。』
これは・・・イエス様はすべての人の罪を一身に背負われた、とおっしゃるのですか?」
「その通りです。その章の最後を読んでみてください。」
「『彼は多くの人の罪を負い、そむいた人のためにとりなしをする。』・・」
私はただ茫然と目の前にいる人を見続けました。
その人がこう語りました。
「この方こそ、本当の救い主です。」



昨年の投稿についてはこちらをご覧ください。様々な関連記事をまとめています。





虎猫

オウム真理教の精神史(3月20日に寄せて)(再掲)


オウム真理教のあの事件が起きたのは1995年(平成7年)3月20日でした。
以前にもご紹介していた書物「オウム真理教の精神史」を改めてご紹介します。


この本では、オウム真理教が突然生まれたものではなく、それまでの様々な思想、「ロマン主義・全体主義・原理主義」に根を持つものであると説きます。諸外国にもまた日本にも、オウム同様のおぞましい集団が過去に幾度もあったこと、これからも起こりうることを示しています。


決して読みやすい本ではありません。しかし論旨は明快です。各所に鋭い洞察があり、拾い読みだけでもいろいろと気づかされることがあると思います。
一か所だけ、全体主義について書かれたところを引用します。


「大都市で生活する群衆は、社会や世界はどのように構成されているか、自分は何者なのかということを、明確に理解できない・・・群衆の意識のなかに芽生えるのは、目に見えるものでは世界を十分に理解することができない、という感覚である。・・・
群衆は、実際に目に見えるものを信じないが、自らを包み込んでくれる不可視の統一的体系を提示されると、いとも簡単にその実在を信じ込んでしまう。」
「ゆえに政治家や運動家は、特定の利害ではなく、ある『世界観』、明確には目に見えないものの、個々人がそこに自らの生の基盤があることを実感し、自我を没入させることができるような『世界観』を提示しようとする。
全体主義とは一言でいえば、孤立化した個々の群衆を特定の世界観のなかにすべて融解させてしまおうとする運動なのである。」
「根無し草としての放恣な自由に疲れ、苦悩を抱える群衆は、その心の奥底では強固な束縛こそを希求しているのである。」(本書114~115頁、117頁より抜粋、一部要約して引用)


静かな夜に、ときにはこのような書物を紐解き、その意味をかみしめてみましょう。


全能の神が、人間に悩み迷うことを許しておられるのには、理由があると思います。
主は、人間が自らの意思を放棄し、特定の世界観へ融解・埋没していくような生き方をお許しにはなりません。自立した意思を持つ者として、自らの意思で神の義と神の道に立ち返るようにと、常に呼びかけておられるのです。


「私たちは、多くの人のように、神のことばに混ぜ物をして売るようなことはせず、誠実な者として、また神から遣わされた者として、神の御前でキリストにあって語るのです。」
(コリント人への手紙第二 第2章第17節:新改訳2017版)


(注)2011年11月に東京カベナント教会ブログ「重荷をおろして」に投稿し、その後にオウム関係の刑事裁判、死刑執行などのイベントの際にも投稿したものです。
3月20日を迎えて改めて投稿しました。




虎猫