「ナチスは良いこともした」という奇説を信ずる人はなぜ現れるのか
【この記事から一部引用します。】(強調箇所は引用者の銅鑼猫です。)
ツイッターで私が「ナチスの政策で肯定できることはない」と発言すると、多くの反発がありました。私にナチスの「良い政策」を示し、「こんなことも知らないのか」とばかりにあざ笑う人もたくさんいました。そんな反応を見て、逆張りの根底にある二つの欲求に気づきました。
一つは、「正しいこと」に縛られずに自由にものを言いたいという欲求です。ナチスの政策について知りたいわけではなく、ナチスは悪といった「正しさ」を息苦しく感じている。
もう一つが、「他の人が知らないことを知っている」と誇示し、知的優位に立とうとする欲求です。この二つの欲求は、近年問題になっている陰謀論にはまる動機とも、共通しているように思います。
重要なのは、こうした逆張りは、需要があるから存在しているということです。ナチスについての暴論をなぜ少なからぬ日本人が称賛するのかと言えば、「正しい歴史」をひっくり返すための突破口として最適だからでしょう。世界中のだれもが認める「ナチス=悪」が絶対じゃないとなれば、日本の戦争責任だって絶対じゃなくなる。それを信じたいという需要があるから、存在しているのです。
【銅鑼猫コメント】
この分析は、大変明快でわかりやすいと思います。
はっきり言います。世の中には、全く取るに足らない間違った考えを主張する人がいます。
どのような考え方・議論でも何らかの理由がある、等と思い込まないでください。
100%取るに足らない考え方もあるのです。ガセネタも愚論も世の中に溢れているということを忘れないでください。
但し、どのような考え方・議論でも、そんなものにすがろうとする愚かな人々は沢山いるのです。
ナチスはわかりやすい例ですが、それ以外にも、例えばひたすら欧米に優れたモデルがあると言いふらす「出羽守」(注)は、我国に溢れています。
(注)「出羽守」⇒「ではのかみ」:「欧米では」「アメリカでは」と言いふらす人。
「他の人が知らないことを知っている」と誇示し、知的優位に立とうとする欲求に動かされているのです。
総じて言えば、こういう人々は欧米の実態をあまりよく勉強していません。ちょっと聞きかじった知識とか、自分のごくささやかな欧米での体験を(それも昔の体験を)、得意げに吹聴するのです。
経営者とか政治家などでも結構沢山いらっしゃいます。
マスコミも出羽守は満ち溢れています。
銅鑼猫