べんけい飛脚(山本一力)
べんけい飛脚(山本一力)
【注】
2015年4月東京カベナント教会ブログ「重荷をおろして」に投稿した記事です。
図書館で借りて、夢中で読み終え、さっそく感想を投稿しました。いま読んでもあのときの熱い気持ちを思い出します。
江戸時代、加賀藩前田家の窮地を救うために藩御用の飛脚たちが中山道を走りぬきます。彼らを束ねる飛脚問屋の頭の命を受け、それぞれ鍛え抜かれた自慢の足で、幾多の障害をも乗り越えていきます。
飛脚たちだけではありません。
街道で前田家の大名行列を迎える人々も、家臣たちもその勤めを懸命に果たします。
前田家五代目の殿様綱紀(つなのり)は、江戸でも国許でも、また参勤交代の時も、屋敷を抜け出して町民の姿に身をやつし、市中を歩き、民の姿を自ら見て歩き、政道に生かすことを常としています。若い将軍吉宗のために誠心誠意尽くします。吉宗もまた綱紀を心から尊敬し、みずからの後見人であるとまで考えます。
綱紀は、将軍吉宗を源義経に、そして自らは義経を守った武蔵坊弁慶になぞらえます。
綱紀は中山道をひたすら走り抜いて、命がけで大切な書状を届けてくれた飛脚たちに、自分を支えてくれる家臣たちに感謝を惜しみません。ひとりひとりが自分自身の源義経のために武蔵坊弁慶となって自らの命をかけて支え合っているのです。
「ひとはだれしもが、義経に仕える弁慶」
この小説の中で描かれているのは、自分に与えられた仕事を忠実に、しかも誇り持ってやり遂げる男たち女たちの姿です。
このような人々によって、この国は昔から支えられているのです。
「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。
あなたがたの間で先頭に立ちたいと思う者は、皆のしもべになりなさい。」
(新約聖書マタイの福音書第20章第26~27節より:新改訳2017版)
虎猫