高額医療費問題:日経新聞「経済教室」の卓見に拍手!(3月27日追記)
3月25日、26日、さらに27日に日経新聞「経済教室」で高額療養費制度の見直し問題が取り上げられています。
いずれも、考えてみれば当たり前の議論です。
なぜ、こんなバカげた「高額療養費制度の見直し」が予算案に上がったのでしょうか。
国家として最も守るべき弱者に対するむごい仕打ちです。
こんな提案をした人の見識、倫理観を疑います。
もう一言いうなら、このような予算案に衆議院で異議を唱えず賛成したあの野党の見識を疑います。
以下、3本の論考の大切な部分をご紹介します。
第1は財源確保のために高額療養費が狙い撃ちされたことだ。
健康保険組合連合会によると、23年度の100位までの高額な保険請求では「がん」が74%を占める。次が「先天性疾患」の14%だ。つまり負担引き上げは、がんや小児の患者を直撃する。厳しい闘病中の高齢がん患者や小児を財源確保の標的にすることは、果たして正しいのか。
第2は「受診控え」による医療費削減を見込んだ点だ。
1935年に発表された古い理論で、当時と医療環境が大きく異なる現在に当てはまるかどうかにも疑問が残る。その理論で命に関わる疾患の受診控えを見込んだのでは、倫理的に問題があると批判されても仕方がない。
そもそも健康保険とは医療費による家計の経済的破綻を防ぐための仕組みである。日本は1961年に国民皆保険制度を実現した。(現在では米国を除きすべての先進国で皆保険制度が達成されている。玉上コメント:米国はこの点、先進国の中で唯一、異様な国です。)
私が高額療養費の自己負担限度額を引き上げるべきではないと考えるのにはいくつかの理由がある。
第1にこの改革は、高額な医療を必要とする重症患者とその家族を、経済的な理由で必要な治療を諦めざるを得ない状況に追い込む深刻なリスクがある。
健康保険制度の中でも、高額療養費制度の恩恵を受けるのは最も重症な患者だ。この重症患者の自己負担を増やして医療需要を抑制すれば、生死に関わる重大な健康被害を引き起こす可能性がある。
社会保障費の削減が避けられないならば、優先すべきは軽症者に対する医療サービスへの需要抑制である。高額療養費制度のような重症患者を支える仕組みに手をつけるのは最後の手段とすべきである。
第2に、医療費を削減する順番が間違っている。国民および患者に今よりも大きな経済的負担を強いるよりも先にやるべきは、健康の改善につながっていない医療費の「非効率」を減らすことである。
高額療養費制度は、医療費の自己負担の上限額を定めている。医療費の自己負担が一定の上限額を超えた場合、超過分は高額療養費によってほぼ全額支給される。高額医療による家計破綻や治療断念を防ぐという、公的医療保険の最も重要な役割の一つだ。
改革案の上限額と同水準の負担に直面した場合、ほぼ全ての年収区分で世界保健機関(WHO)が「破滅的医療支出」と定義する水準に達してしまう。この水準は手取り所得から生活費を引いた額に占める自己負担額が40%以上とされている。
現行制度でもすでに「破滅的医療支出」の負担に直面している患者が存在することを示唆するものであった。
例えば上限額の手前で自己負担が12カ月続く極端なケースでは、現在でも低所得者で年40万〜70万円、高所得者で300万円ほどの自己負担になる。がん患者団体の緊急アンケートでは、現行制度でも高額の負担により経済的困窮を強いられたり、治療を断念したりする患者が存在していることが明らかになった。
欧州の医療保険制度を見ると、ドイツでは年間の患者自己負担は年間所得の2%までと決められている。フランスでは抗がん剤など代替性のない高額医薬品は自己負担なしとするなど、患者負担が高額にならない仕組みを設けている。
「能力に応じた負担」という考え方は、もともと税や社会保険料を徴収する原則として使われる概念だ。必要に応じて給付を受けられるセーフティーネットとしての社会保障の原則論も加味して、高額療養費の問題を捉え直すべきである。
銅鑼猫(社会保険労務士 健康経営エキスパートアドバイザー 玉上信明)