希望の力、助け合う力
Mさんからこんな話を伺いました。
M「私の弟は京都に住んでいますが、急な病で手術を受けることになりました。
重い難しい手術です。自分は仕事の関係で、行くことができません。」
「手術の日のことです。
会社からの帰りの電車で、折よく席に座れてほっとしていたところ、足の不自由なおばあさんが杖にすがってよろめきながら乗ってこられました。
私は躊躇せず、席を譲りました。
おばあさんの降りる駅を聞いてみると、私とちょうど同じ駅でした。
ただ、その駅の降り口は座っていただいた席と反対側です。席から降り口までには立っている人もたくさんいます。短い停車時間中に降り口にたどりつけるか心配になりました。
目的の駅が近づいたときに、私は意を決して、降り口までの通路にいた一人一人に声をかけました。
『次の駅で足のご不自由な方が降りられます。通路を開けていただけませんか。』
声をかけられた人はすぐ状況を察し、降り口まで広く通路を開けてくださいました。
私は杖のおばあさんを助けて電車を降り、駅のエレベーターに案内し、出口までご一緒しました。
そして祈りました。
『神様。私はこのおばあさんを助けて差し上げました。どうか弟を助けて下さい。』
私が家についたときに、弟の妻からメールが入ってきました。手術が無事に済んだ、というメールでした。」
「神様は私たち一人一人の手を用いて、御心を成し遂げられるのではないでしょうか。
私はおばあさんを助け、お医者様は弟を助けてくださったのです。
まず、他の方のために、自分のできることをためらわずにすること、そうすれば、離れたところ、離れた時にでも、他の方が、私や私の家族のために、できることをしてくださると思います。」
「まず神の国と神の義を求めなさい。」
マタイの福音書第6章33節より(新改訳2017版)
【注】2011年1月に東京カベナント教会ブログ「重荷をおろして」に投稿した記事です。
このお話を聞いたときのことを思い出して、再投稿しました。
虎猫