toranekodoranekoのブログ

クリスチャンブロガーが綴るブログです。
明るい高齢化社会、病から得た様々な宝、世の中の動きへの警鐘(銅鑼)を鳴らすこともあります。
ときどき大阪弁も出てくる聖書物語もお楽しみに。
主催者のほか様々な協力者も登場します。

そのとき大地が動いた―へたの横スキー物語(平昌オリンピックに寄せて)

私がひょんなことからスキーをはじめたのは44歳の時でした。
仲間に見守られながら、まず、左足にスキー板をはき、ついで右足にも板をはきました。とたんに、平坦だったはずの大地が足元でぐらり!と揺れました。仲間が支えてくれなかったら、盛大に転んだところです。
まず、スキー教室に入りました。初めに教えられたのは転び方と起き方でした。「スキーは転んでうまくなる。安全に転び、自分で立てることが第一」というわけです。
初心者向け指導に定評のある教室です。2日間の指導で、初心者むけの緩い斜面なら、曲がるも止まるも自由にできるまでになりました。
3日目、悪い仲間たちです。何も知らない初心者を中級者向けの斜面に連れ出しました。
スキーをした方ならお分かりと思いますが、「斜度20度」というのは、初心者にとっては崖と同じです。
「私たちもそうやってうまくなったのよ。その右から左まで滑ってごらんなさい!」脅されすかされ、恐怖に震えて泣きながら、転び方・立ち方をまず教えられた幸運を体中でかみしめながら、何とか下りてきました。
その先は、昨日まで学校で習ったあの緩斜面でした。まっ平らに見えました。
歓声を上げて突っ込んで行きました。


その数年後、富良野に行きました。広大な斜面で、雪質も最高です。
すべりおりているうちに、ふと体の力が抜け、雪に身を預けるような感覚を覚えました。
そのとき、大地が動きました。自分が曲がろうとしているのではなく、景色が右から左へ、左から右へと流れて行くのです。映画でも見ているような感覚です。
「雪よ、私を受け止めて!」身を投げ出すと、白銀の世界がやさしくわが身を抱きとってくれるのです。


今は事情があってスキーから離れていますが、またいつか、やさしく自分を抱いてくれるあの世界に戻りたいと思います。


高嶺(たかね)の麗しさは全地の喜び
北の端なるシオンの山は大王の都 

旧約聖書詩篇48編2節(新改訳2017版)


(注)2010年2月バンクーバーオリンピックの時に東京カベナント教会ブログ「重荷をおろして」に投稿していた記事です。平昌オリンピック開幕を期に再投稿しました。


虎猫

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