toranekodoranekoのブログ

虎猫・銅鑼猫など様々なブロガーが参加しているサイトです。クリスチャン、社会保険労務士、多言語活動家、女性キャリア官僚、科学ライター、うるさいばあさんまで、多士済々。お楽しみください。

クリスチャンブロガーが綴るブログです。
明るい高齢化社会、病から得た様々な宝、世の中の動きへの警鐘(銅鑼)を鳴らすこともあります。
ときどき大阪弁も出てくる聖書物語もお楽しみに。
主催者のほか様々な協力者も登場します。

「ガザの洗礼」のその後(エチオピアに福音が伝わっていく・・・)

虎猫どら猫

4月23日:

YouTubeも公開しました。



「ガザの洗礼」のその後(エチオピアに福音が伝わっていく・・・)




あのガザで洗礼を受けた宦官が、エチオピアに戻り女王陛下に自らの体験を語ります。

そしてこれが、エチオピアにキリスト教が広く伝わるきっかけとなったのです。

「ガザの洗礼」の後日譚です。




【女王陛下が私に語られ、命じられたこと】


「エルサレム訪問、大儀であった。何か良き土産などあるか。」

玉座の上から女王陛下が私を見下ろし、穏やかな声でお尋ねになりました。

私は静かに頭を垂れ、言葉を選びながら答えました。

「女王様。わたくしの体験をお語りしたく存じます。」


陛下は少し眉を上げられ、玉座の脇にいる侍従たちに退出を命じられました。

広間には私と陛下だけが残りました。

「語るがよい。」


私は深く息を吸い、エルサレムの道のほこり、イザヤ書の巻物、ガザの乾いた風、そして、あの静かな水辺での出来事を、ひとつひとつ言葉に乗せて語りました。


自らの口を開かず、すべての罪を背負って十字架に向かわれたイエス様。
その方を指し示していた聖典の言葉。
そして、導かれるように出会った一人の旅人、ピリポ様。

水辺での洗礼の瞬間を語りながら、私は思わず胸に手を当てていました。

「主は、わたくしのような者にも道を開いてくださいました。子を持つことも許されぬ、宦官の身であっても、です。」


女王陛下は長く沈黙なさり、やがて静かにおっしゃいました。

「我が財を預かる者よ。そなたは、この国のために、これまでも忠実に仕えてくれた。だが今、そなたの言葉には、それ以上の力がある。」


陛下は玉座からお立ちになり、窓辺へと歩まれました。

「そなたが語るその方の教え──争いのない国、互いに罪を赦しあい、真実を以て仕えあう国。それは、わらわが思い描いてきた理想の国にほかならぬ。」


ゆっくりと振り返った女王は、毅然とした声で続けました。

「そなたが学び、心に灯したその教え、エチオピアの民にも広く伝えるがよい。神の御心ならば、この国をも、その御手が覆ってくださるであろう。」


私はひざまずき、深く頭を垂れました。涙が頬を伝いました。

「畏れ多いお言葉です。女王様、わたくしにお命じください。主の御言葉を、国の隅々まで伝えてまいります。」


「よい。そなたの信ずる主が、そなたと共に歩まれますように。」

こうして、私はエチオピアで最初のキリスト者となり、新たな旅路を歩み出しました。主に導かれたその日から、私の人生は、もはや自らのものではありませんでした。

遠いエルサレムの空も、女王陛下の玉座も、そしてこの国の民の営みも、すべては主の御手の中にある──その確信とともに、私は立ち上がりました。


【福音の広がり】

女王陛下からのお言葉を賜ったその日から、私は公務の合間を縫い、静かに人々へ語り始めました。


最初は家臣のひとり、帳簿を共に整えていた若い書記官でした。
「主は、誰の罪も赦してくださいます。生まれや身分の差もなく、すべての者を愛してくださるのです。」

その若者は、自らの胸に手を当て、しばし黙考し、やがて問いかけました。
「私のような者にも、ですか。」

「はい。私も同じ問いを発しました。答えは、変わりません。」


その日、彼は私に願い出て、庭園の泉で洗礼を受けました。

その知らせは静かに、しかし確実に宮廷の内外へと広まっていきました。
一人、また一人と、心を開いた者たちが洗礼を受け、やがて商人や職人、農夫にまでその教えは伝わりました。


言葉も、身分も、過去の罪も問われず、ただ信じる心ひとつを持つ者が救われる──その教えは、エチオピアの民にとって、乾いた大地を潤す雨のようでした。

日差しの強い午後、井戸のそばで水を汲む女たちの間にも、子どもたちの遊ぶ声の中にも、いつしか「主」という言葉が交わされるようになりました。

国中に、見えない風のように福音が広がっていきました。


【宦官の晩年】

それから幾星霜が流れました。

私は年老いて、かつてしっかりとした手で仕切っていた財務の仕事も、若き後継者へと譲りました。今では静かに宮廷の片隅で、巻物を読み、祈りの日々を送っています。


女王陛下もとうに世を去られました。けれど、あの方のご遺志は確かに民の心の中に生き続けています。

私の目の前を、洗礼を受けた者たちが次々と通り過ぎていきます。かつて書記官だったあの若者は、今では多くの人々に主の御言葉を語る教師となり、村々を巡っています。


エルサレムで求め、ガザの道で出会い、洗礼を受けたあの日から──私は孤独ではなくなりました。

家族というものを持たぬ私でしたが、今や、見渡す限りの民が、互いに「兄弟姉妹」と呼び合う、主の家族となりました。


ある日のこと、老いの重みに身を横たえながら、私は心の中で静かに祈りました。

「主よ、あの日ガザの道で、あなたは私を探し出し、見つけてくださいました。
今、またあなたのもとへ帰る時が近づいているのを感じます。
わたくしの生涯は、決して孤独ではありませんでした。あなたが共に歩んでくださったからです。」


風が、宮廷の石の廊下をやさしく撫でる音がしました。
あの日、ピリポ様が静かに語った声と同じ響きに思えました。

「主よ、あなたのもとへ、まいります。」


そして、彼は静かにまぶたを閉じ、長き旅路の終わりを迎えました。

その葬儀の日、多くの者が集い、彼のために涙を流しました。

誰もが知っていました──エチオピアに福音の種を蒔いたのは、あの宦官だったのだと。

そして、彼が生涯信じ続けた主の御名は、今もこの国で語り継がれています。


2500520追記

この記事は、私の「ガザの洗礼」記事に基づいて、生成AIのchatGPTと対話して作成したものです。生成AIの進歩は目をみはるばかりです。


(「ガザの洗礼」はこちらから)


虎猫(東京カベナント教会会員玉上信明)

×

非ログインユーザーとして返信する