toranekodoranekoのブログ

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明るい高齢化社会、病から得た様々な宝、世の中の動きへの警鐘(銅鑼)を鳴らすこともあります。
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「受難(パッション)」を捧げた恵み~真夏の祈り~

イエス様の十字架の受難を題材にした曲です。
聖イグナチオ教会のホイヴェルス神父の作詞、山本直忠先生(髭の指揮者山本直純先生のお父様)の作曲です。1950年に初演されましたが、1965年に山本直忠先生が亡くなった後は、演奏されることもなく、ようやく1994年に上野奏楽堂で直純先生の指揮で演奏されました。「エンゲルコール」(カベナントコワイヤ指導者の四家先生の賛美グループ)を軸に、いくつかの合唱団、オーケストラも加わった大規模なものでした(当時のビデオをコピーしたDVDが残っています)。その後は演奏の機会がありませんでした。
「エンゲルコール」のオルガ二スト湯浅照子先生は直忠先生の御嬢様、直純先生の妹様です。お父様が渾身の力を振り絞って作曲された「受難」を埋もれさせたくないと、再演を願って祈り様々な準備をされました。
一昨年ようやく小諸キリスト教会で一部を抜粋して演奏することができました(これについてはブログ「小諸にわらじをぬぐ者は ふたたび小諸に来たる」をご参照ください)。
その後、山形の大江町キリスト教会からお話があり、昨年6月5日にまとまった形で奉仕する機会に恵まれました。
原曲ではイエス様の独唱が重要な部分を占めますが、技術的にはとても難しいものです。虎猫がナレーションで演じました。大役です。


いよいよ本番の礼拝が迫ります。
どうしても心が落ち着かず、祈り続けました。
突然、御声が聞こえました。
「お前ひとりの力で出来ると思っているのか。」
目が覚めました。
自分ひとりの力で出来るのではない、自分ひとりのために演奏するのでもない。
平静な気持ちで、心を込めて奉げることができました。


今、あの大江町で加わっていただいたソプラノやチェロの響きなどを思い出し、心が打ち震えるような感じがいたします。
そして、私たち小さな群れが、また、この小さな者が心を込めて捧げたあの受難(パッション)が、その場に集った皆様の心に響き、忘れがたいひとときとなったことを、今は確信しています。


いま、この演奏に至るまでの経緯を少し振り返ります。
原曲のイエス様のセリフは文語です。湯浅先生から、若い人にもわかるように口語訳にしてほしい、と依頼を受けました。軽く引き受けたものの、どうすればよいか迷っているうちに、どんどん日が経っていきます。
祈るうちにインスピレーションがわきました。まずイエス様になりきって自分の言葉で書いてみよう、それから細かく調整すればよい。
祈りつつ、ほとんど1日半ほどで草稿を作りました。それから手元の聖書10種類以上を参照しながら推敲しました。区民センターに幾日か通い詰め、完全防音のピアノ室・オルガン室を借りて思い切り声をだし、練り上げました。さらに日が迫ると、カベナント教会の礼拝堂が無人の時を見計らって、会堂での響きを確認しました。最後には大阪から見えたT姉がピアノ伴奏を務めていただき、細かく練り上げたのです。
【文語・口語の一例】
(原曲の文語)
「我まことに汝に告ぐ。汝、こよい鶏の再び啼く前に、必ずみたび我を否まん」
(口語訳)
「ペテロよ、はっきりと言っておく。お前は、あす朝の鶏が啼く前に、三度私のことを知らないと言うだろう。」


でも私のこんな苦労は何の自慢にもなりません。
山本直忠先生は、暑い夏、冷房もない時代、朝4時に起きて、ピアノの上に五線譜と聖書を置き、祈りながら作曲されたのです。
DVDの山本直忠先生の言葉を思い出しました。「私は祈りながらこの曲を作った。不思議な力に支えられひと月でスケッチを完成することができた。そして今もなお祈り続けている。」


『我らなくして神は成さず、神なくして我らは成せず。』(聖アウグスティヌス)


【注】2016年8月に東京カベナント教会ブログ「重荷をおろして」に投稿したものです。暑い夏、山本直忠先生の盛夏の朝の祈りを思い出し、改めて投稿いたしました。小諸聖書教会での賛美は2015年6月、山形大江町キリスト教会での賛美は2016年6月です。
上記では「一昨年」「昨年」と表記しています。


虎猫

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