toranekodoranekoのブログ

クリスチャンブロガーが綴るブログです。
明るい高齢化社会、病から得た様々な宝、世の中の動きへの警鐘(銅鑼)を鳴らすこともあります。
ときどき大阪弁も出てくる聖書物語もお楽しみに。
主催者のほか様々な協力者も登場します。

くず野菜と小魚が宝となるとき

皆さんこんにちは。アーニャです。本名明日香。花のJK(女子高生)です。


私がお世話しているニックパーパチカ(年金生活者・65歳で突然多言語活動に目覚める)が、多言語活動の中でいろいろなメモを書いては、そのままほったらかしにしています。
私が少し掘り起こして皆さんにご紹介します。
私たちの活動の場ピアザ(イタリア語で広場)では、気が付いたことを何でもその場で1分間ぐらいで紹介する、ということをよくやります。
はじめ、皆さん引っ込み思案なので、こんなことをニックパーパチカは言ったそうです。


この場で人に何かを教えてもらう、何かを与えてもらう、と 考えないでください。
むしろ、ご自身がこの場に何を提供できるのかを考え、遠慮なくその場に提供してみてください。
自分はこんな小魚を持っているよ。こんなクズ野菜をたまたま見つけたよ。
差し出された小魚、くず野菜を仲間と一緒に料理する。それがピアザの場です。
仲間と一緒に、さてどのように料理しようかとあれこれ考えているうちに、その小魚、そのくず野菜が自分では考えもしなかったすばらしい一品となる、その瞬間を仲間と共有することになるでしょう。
自分が小魚、くず野菜としか考えていなかったものが、すなわち、自分のなんということもない人生が、他の人にとって、何よりも自分自身にとって、かけがえのない宝であったことを見出すことになります。
そして、明日、別の小魚、くず野菜を嬉々として見つけ、周りの人のためにすばらしい料理として差し出すことができる人となるでしょう。
自分の手元の材料だけではありません。他の人が見捨てていた些細な事柄も、実は素敵な一品になりうるのです。そのことに気づいて、その人に示すことができる、そんな、不思議な力をも備えることができるでしょう。


どうですか皆さん、ニックパーパチカのこの文章。
私アーニャは、ただの目立ちたがり屋さんらしからぬすてきな文章かな?と思ったのですけれど。