江戸前のパリの街角小説版(その3)(完結)
(砧公園)
玄関のベルが鳴り、ママが出ていきました。
「さあどうぞお入りください。」お客様のようです。
そして、「れいか、いらっしゃい。」
私を呼びます。
ダイニングにあのおじさんの奥さんがいました。
「れいかちゃん、こんにちは。本当に有難う。」
おばさんはそんなふうにおっしゃいます。
私はきょとんとしていました。
「主人が、おじさんが、れいかちゃんに『こんにちは。』と挨拶するでしょう。
れいかちゃんが大きな声で明るく返事してくれるのが、とても嬉しかったみたい。
ほらこれを見てください。
れいかちゃんの似顔絵をおじさんが描いたのよ。
似顔絵のうしろにエッフェル塔まで描いちゃって」
そう言いながら、くすくす笑い出しました。
「でも、私、昨日、おじさんと一緒にエッフェル塔まで行ったのよ。
そこで絵を描いてくれて、仕上げたら届けるって。」
おばさんもママも、びっくりした顔で私の方を見ます。
「でも夫はもう・・」
おばさんは泣きそうでした。
ママが慌てておばさんのそばに寄って、そっと手を握りました。
「れいかにはまだ言ってなかったんです。おじさんが亡くなったことは。」
「おじさん、死んだの?
そんなことない。絶対ない!
だって昨日の夜、病院でおじさんとあって、そのままエッフェル塔まで連れてってくれたんだもん。そこで私の絵を描いてくれたの。カフェオレもごちそうしてくれて・・。」
「あ、あんたその口元、白いものがついている!」
「おじさんがごちそうしてくれたカフェオレだよ。」
ママもおばさんも、なんだかこわばった顔をしています。
やがて、おばさんが尋ねてきました。
「病院でおじさんとあったの?」
「そうだよ。」
「ひょっとして、病院で患者さんとか看護師さんとかに『こんにちは。』って挨拶しなかった?」
「したよ。おじさんと一緒に。」
おばさんはみるみる泣き顔になってしまいました。
「今朝、ご挨拶に病院に行ったんです。そしたら看護師さんに、言われました。
『ほら、いつもご主人と親しくしていたお嬢ちゃんがいらっしゃるでしょう。
昨日、ひとりでこの病棟の中を散歩されてましてね。患者さんにもお見舞いの人にも、看護師にもお医者さんにも、楽しそうに『こんにちは。』ってご挨拶してくれたんです。
皆大喜びで、挨拶を返しました。
そのうちいらっしゃらなくなったので、お母様と一緒にお帰りになったようですね。」
ママも泣きそうな顔でした。
「昨日、病院ではずっと私と一緒でした。退院するおばあちゃんを迎えて、すぐに帰ったんです。れいか1人のときはなかったです。」
私はいいました。
「おばさん、ママ、私1人じゃなかったよ。おじさんとずっと一緒だったんだよ。」
おばさんとママは顔を見合わせました。
やがて、ママが言いました。
「そうね。れいか1人じゃなかったのね。ずっとおじさんと一緒だったのね。」
それから、おばさんが言いました。
「きっと、今はパリにいるんでしょうね。街角のカフェで、周りの人に『こんにちは。ボンジュール』って挨拶しているんでしょうね。
おじさんは、どこでも好きなところに行けるようになったんだから。パリの次はどこに行くのかしら。」
「きっと、世界一周旅行!!」
私は大きな声で言いました。
ママもおばさんも吹き出しました。涙を流して笑い続けました。
(完)
ニック&アーニャ
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