裁判員制度をみる視点
2010年5月、裁判員制度施行1年のときに東京カベナント教会ブログ「重荷をおろして」に投稿したブログです。
10周年を機に再掲します。私の考えは基本的には変わっていません。
【2010年5月投稿記事】
裁判員制度が施行されて1年経ちます。この機会にあえて辛口の批判を許していただきたいと思います。
この制度で特に考えておくべきは、刑事被告人を冤罪や不当な量刑から守るにふさわしい仕組みかどうか、という点です。
裁判員制度は日本独特のものです。欧米諸国の市民参加とは全く異なります。
米国の陪審制は12名全員一致で有罪無罪の評決のみ行います。量刑は職業裁判官のみで決定します。専門的な知識と経験を要するからです。また被告人は陪審に代えて職業裁判官の審理を選ぶこともできます。
ヨーロッパ諸国の参審制では、市民から選ばれた参審員が量刑にも関与します。ただし、一定の任期をもち、その期間中にいくつもの裁判に参加します。ドイツの参審員に至っては任期5年、まさにセミプロです。
我が国の裁判員制度はどうでしょうか。
くじで当たった市民がただ一つの事件に関与し、有罪無罪のみならず量刑の決定にも参画します(殺人なら、死刑・無期懲役・5年以上の有期懲役から選択。我が国は法定刑の範囲が欧米よりも特に広いのです)。しかもその決定は、裁判官3人、裁判員6人の合議体による単純多数決で行われます。これでは「くじ運」に左右されかねません。
また、刑事被告人は、職業裁判官の審理を選ぶことはできません。
さらに、裁判員には審理内容につき生涯の守秘義務が課されます。後に続く市民に自らの経験を伝えられません。市民の間で知識やノウハウを積み上げることもできないのです。
なお、「裁判員の負担軽減」を理由に、審理は3日間程度集中して行われます。これでは組織力に勝る検察が圧倒的に有利になります。最高裁の裁判員経験者への調査では、検察官の法廷での説明が分かりやすかったとする人は80%、弁護人の説明については50%、無罪主張など被告人の否認事件では、この比率が検察官71%、弁護人37%と、さらに差が広がっています(2010年4月17日付日経新聞朝刊)。
米国での陪審制への批判として「市民を盾に、裁判所への冤罪の批判を逃れようとしている」という主張があります。我が国の裁判員制度は「市民を盾に、裁判所への不当判決の批判を免れることをさらに推し進めた。」というのは、言いすぎでしょうか。
なお、足利事件でもわかるように、冤罪の原因の多くは捜査段階にあります。刑事司法の改革には、捜査段階も含めた広範な検討が必要ですが、一向に検討が進みません。
裁判員制度の導入で、他の問題がうやむやにされてはなりません。この点も付言しておきたいと思います。
「まことに、あなたがたに言います。あなたがが、これらの私の兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。」
(新約聖書 マタイの福音書25章40節 新改訳2017版)
【参考資料:今回更新しました】
1.最高裁判所
裁判員等経験者に対するアンケート調査結果報告書(平成29年度)
2.日本弁護士連合会
世界各国の市民参加制度
冤罪(誤判)防止コム「死刑再審4事件弁護人アピール」
3.新聞記事
4.木村晋介他 激論!「裁判員」問題(朝日選書)
銅鑼猫