toranekodoranekoのブログ

虎猫・銅鑼猫など様々なブロガーが参加しているサイトです。クリスチャン、社会保険労務士、多言語活動家、女性キャリア官僚、科学ライター、うるさいばあさんまで、多士済々。お楽しみください。

クリスチャンブロガーが綴るブログです。
明るい高齢化社会、病から得た様々な宝、世の中の動きへの警鐘(銅鑼)を鳴らすこともあります。
ときどき大阪弁も出てくる聖書物語もお楽しみに。
主催者のほか様々な協力者も登場します。

「ハラスメント」という前に社会人としての良識を心がけよう。

セクシャルハラスメント、パワーハラスメント、マタハラ、パタハラ、・・
ハラスメントの花盛りです。
どこまでがハラスメントか云々、という議論をよく見ます。


私に言わせれば、ハラスメントの定義をお上に決めていただく、ということ自体が恥ずかしく情けないことだと思います。
3月6日朝日新聞夕刊3面に詩人の文月悠光(ふづき・ゆみ)さんのこんな発言が掲載されていました。
「メディアが伝える言葉が女性を傷つける出来事が後を絶ちません。」という質問に対して文月さんの言葉です。
「発する側は『冗談だった。』『こんなことでピリピリするなんて」という空気を出してくる。それは傷ついた人たちに『黙れ』というのと同じ。」


良識のある社会人ならば、人が嫌がる言動はしてはならない。
そこからまずスタートすべきです。
そのような言動の中で、「国家としてこれはとても放置できない」と判断したものが「ハラスメント」と定義され、様々な規制や指導の対象となっているのです。
ハラスメントが喧しく議論される中で、こんな誤解をしている人はいませんか?
「国家の定義するハラスメントに該当しないなら、別にやっても構わないのではないか」。
 相手の方が気に障るならば、お詫びして言動を慎むべきです。
「相手の方がとりわけ敏感だったから」等として、相手に問題があるかのように責任転嫁してはいけません。


一例として「女性社員を『ちゃん』づけで呼んではいけない(ハラスメント再考)」という記事を以前に書いています。これもご一読ください。


なお逆に、例えば人命の危険のある行為については、怒鳴りつけ叱りつけてでも止めなければいけない。これは、パワハラではありません。正当かつ必須の行為だからです。
教室の中で騒ぐ学生を教授が叱りつけるのも、必要なことであり、アカハラなどには該当しません。
パワハラが問題になるのは、必要もないのに(あるいは必要性を越えて)相手を罵ったりあざけったりする場合です。
こんなことは、社会人の常識の問題です。
いちいち議論する方がどうかしているのです。



銅鑼猫

×

非ログインユーザーとして返信する