toranekodoranekoのブログ

クリスチャンブロガーが綴るブログです。
明るい高齢化社会、病から得た様々な宝、世の中の動きへの警鐘(銅鑼)を鳴らすこともあります。
ときどき大阪弁も出てくる聖書物語もお楽しみに。
主催者のほか様々な協力者も登場します。

学びの力

 朝日新聞2009年8月16日朝刊4面にこんな記事がありました。
ケニアの89歳のおじいさんが胃がんでなくなりました。世界最高齢の小学生として知られる方です。幼いころから内戦の戦士として育ち、貧しさもあって学べなかった。84歳で地元の小学校に入学を果たし、「死ぬまで勉強する。」と喜んだそうです。学ぶ目的は、お金の計算ができること、聖書を読むことだったそうです。


 私たちは学ぶことで何を得るのか。
このおじいさんの言葉に学ぶ目的が尽くされています。
ひとつには、生きる力を身につけること。
もっと大切なのは、自分の小ささを知ることです。


 私たちは、「真理の大海を前にして、浜辺できれいな貝殻を見つけて喜んでいる子供のようなもの」なのです(アイザック・ニュートン)。
学ぶことは、浜辺にでることです。目の前に大きな海があることを認識し、畏敬の念をいだくことです。
 科学は「なぜか」を問う、というのは、正しくありません。科学は、「いかに」を問うこと、すなわち、現実を素直に観察することからはじまります。観察の中から、事実を貫くルールを仮説として立て、それが観察と実験を繰り返して裏付けられると「学説」となっていく。さらに、より広く、より適切に説明できる仮説が主張され、証明されると、新しい学説となっていきます。
だからこそ、偉大な科学者は、自分が浜辺にいるに過ぎないことこと、まだ見ぬ真理の大海が自分の前にあることを素直に認めるのです。


 「非科学的」という言葉を安直に使ってはなりません。自分の知っていること、説明のできること、教えられたこと以外を「見て見ぬふりをする」姿勢につながりかねません。
 カントという哲学者は、神の存在の論理的な証明は難しいと論じたそうです。
そのカントが最後に達した結論は、それでも自分の心のうちの良心の存在から、神の存在を認めざるを得ない、というものだったそうです。このような言葉を残しています
「美しきもの。夜空に輝く星。わが心の内なる道徳律」


 私が引用したニュートンの言葉は英語の読本、カントの言葉はドイツ語の読本からです。科学は「なぜ」を問う前に「いかに」からはじまるというのは、高校の物理の先生の言葉です。
 学生生徒の皆さん、君たちの教科書や読本のなかからも、先生の一言の中からも、きっと、君たちを支え導く言葉が見つかります。
日々の学びの機会があることに感謝してください。


「神を知りつつも尚これを神として認めず、感謝せず、その念いは虚しく、その愚かなる心は暗くなれり」(ローマ人への手紙第1章21節;文語訳)


【注】2009年9月東京カベナント教会ブログ「重荷をおろして」に掲載していた記事にそこし手を入れて再投稿しました。
夏休みです。学生生徒の皆さん、この夏に素敵な一言を見つけてみませんか?


虎猫

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