toranekodoranekoのブログ

虎猫・銅鑼猫など様々なブロガーが参加しているサイトです。クリスチャン、社会保険労務士、多言語活動家、女性キャリア官僚、科学ライター、うるさいばあさんまで、多士済々。お楽しみください。

クリスチャンブロガーが綴るブログです。
明るい高齢化社会、病から得た様々な宝、世の中の動きへの警鐘(銅鑼)を鳴らすこともあります。
ときどき大阪弁も出てくる聖書物語もお楽しみに。
主催者のほか様々な協力者も登場します。

死にたいときこそ生きてみよう!

こんなことを思い出しました。
私の父が死んだ時です。
私は長男でしたから、お葬式や、その後始末で多忙を極め、2週間会社を休みました。
そして、会社に行く日がきました。
2週間も休むと、会社に行くのが億劫になります。
暗い気持ちで家をでました。
ところが、通勤電車の中、そして電車を降りてから、会社への道を急ぐ人々の姿を見ている中に、気持ちがどんどん晴れてきました。
私の父は、女子大の先生でした。お葬式には、様々な年代の女性たちが来てくださいました。もちろん、皆さん喪服です。時は、ちょうど夏の終わりでした。
そして今、季節は暑い夏から秋に変わりゆく時。
通勤する人々、とりわけ女性たちは思い思いの秋のファッションに身を包み、さっそうと歩いています。こんなふうに女性たちが美しく見えたことはありませんでした。
そして、私も、生きる希望を取り戻したのです。


もし今、心が打ち砕かれ、生きる希望を失くしておられるのなら、それでも、今日、この一日だけ生きてみてください。
無理に明るく振る舞う必要などありません。泣きたかったら泣きなさい。愚痴をこぼしたかったら、愚痴をこぼしなさい。何もしたくないのなら、何もしなくてもよいのです。ただ、今日一日を生きてください。そして床についてください。
きっと明日の朝、主は、あなたの目を覚ましてくださいます。


「まとこに、御怒りは束の間、いのちは恩寵のうちにある。夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。」旧約聖書詩編第30章第5節(新改訳2017版)


【注】2015年9月東京カベナント教会ブログ「重荷をおろして」に投稿していた記事です。様々な天変地異が起こり打ちひしがれる日々、少し手を止めて読んでみてください。


虎猫

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