toranekodoranekoのブログ

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「普遍的言語の基礎構造―人は誰でも見つける力を持っている」

   この記録は、NPO法人多言語(たげんご)広場(ピアザ)CELULAS(セルラス)鈴木理事長の5月14日会員向けの講演の内容を、ニックとして特に印象深かった箇所を中心に纏めたものです。録音録画から逐語的に書き起こしたものではありません。読み言葉としてのわかりやすさを考えて小見出しや配列なども工夫しています。
 理事長の講演の内容は多岐にわたり、この取り纏めで尽くせるものではありません。少しでも皆様のご参考になるようにニックなりに纏めてみたものです。講演の内容の一端を知っていただき、セルラスの活動への理解を深めていただく一助となれば幸いです。


1.日時:2018(平成30)年5月14日(月)午前11~12時
2.場所:渋谷区地域交流センター神宮前


【ポイント】
① 人間は、生まれながらに言葉を見つけ作り出す普遍的な基礎構造が備わっている。
② その基礎構造は、五感、感情、表情などから成り立っている。
③ その基礎構造の上にそれぞれの母語の音声がかぶさって言葉を習得していく。
④ 母語の音声は、リズム、メロディ等をベースに周囲の人々の言葉を聞きながら育っていく。教えられるのではなく、自分で発見していく。
⑤ 例えば、5歳でアメリカに行った子供がどのように英語を習得するのか。自分の中には既に日本語として一次的な基礎構造がある。米国のお友達の話す言葉を聞いて、この基礎構造の上に、英語の音声を乗せ、英語の側からも基礎構造を完成させていく。こうして8歳になれば米国の8歳と同等の英語会話能力を習得する。
⑥ 我国の従来の外国語教育はなぜ失敗したのか。言語を独立したものとして人工的に構成・習得させようとしたからだ。This is a pen.これは、およそ日常ありえない奇妙な文章だ。文法を教える道具として無理に作った例文に過ぎない。文法を知らなくても言葉は話せる。言葉を聞いて話して行くうちに、自然に文法は身につく。文法は言語を後付けで理解するために理論的に体系化したものに過ぎない。言語習得のプロセスとはかけ離れたものである。
⑦ セルラスは母語獲得の自然なステップを取り入れている。人と向き合い、人と一緒に学ぶことで、想像力と創造力を駆使し、言語音声を必然性の中で取り入れていく。
⑧ なぜ多言語なのか。一つの言語で頭の中の言語の基礎構造を作ったうえに、他のいくつもの言葉を学びながら、基礎構造をさらに進化させていくことができるからだ。あたかも「くもの巣」のように言語構造が組み入れられ練り上げられていく。こうすると、次に新しい言語に出会ってもこれまで積み上げた基礎構造と照らし合わせながら、それほどの苦労もなく習得していってしまう。



はじめに.クモの巣やハチの巣の作り方は誰に教えてもらったのか?
 クモやハチが巣の作り方を教えてもらったわけではない。
生まれつき作り方がすり込まれていたのではないのか。
では、人間の言葉はどうだろうか?



1.人間とことばの「普遍的な基礎構造」
  人間は、ことばを見つけ創り出すという普遍的な基礎構造を持っている。
この考え方は50年前にチョムスキーが唱えたもの(【参考】をご覧ください)。
それまでのことばについての常識をひっくり返した。セルラスの考え方は実はここに成り立っている。
 人間には五感・感情・表情などがある。しかしそれだけではない。
生まれた時から既に普遍的な言語の基礎構造を身につけている。すべての言語に共通の基礎工事がなされているのだ。
 どんな国の赤ちゃんも「オギャー!」と泣く。万国共通だ。
ところが、言語の基礎構造の上に、お母さんや周りの人からの音声がかぶさることによって日本語の響きを身につけ日本語を習得していく。こうして日本語が成立するのだ。

【参考】チョムスキーの唱えた説(ウィキペディア「チョムスキー」より引用)
  チョムスキーの提唱する生成文法とは、全ての人間の言語に「普遍的な特性がある」という仮説を基にした言語学の一派である。その普遍的特性は人間が持って生まれた、すなわち生得的な、そして生物学的な特徴であるとする言語生得説を唱え、言語を人間の生物学的な器官と捉えた。初期の理論である変形生成文法に用いた演繹的な方法論により、チョムスキー以前の言語学に比べて飛躍的に言語研究の質と精密さを高めた。


2.日本の5歳の子が米国に行くと何が起こるのか。
  その子は日本語で一時的に完成した普遍的な基礎構造をすでに持っている。
米国のお友達と接し、その話す言葉を聞くうちに英語が完成する。既に完成した日本語の基礎構造だけでなく、英語で更に基礎構造が組み上げられ進化していく。
こうして例えば8歳ぐらいなれば、米国の8歳の子供と同様の英語会話能力も身につけている。
  言語は人間が本来持つ「言語の基礎構造」の上に音声がかぶさって練り上げられていくものだ。言語単独で習得できるものではない。


3.従来の外国語教育はなぜ失敗したのか。
 人間には言語の基礎構造が備わっているのに、それを無視して、「言語」という閉じた人工物を習得させようとしてきたのだ。
言語の基礎構造の外で、「言語」発音・文法用語・意味を頭だけで理解しようとした。
これは言語習得の方法として不自然である。人間に本来備わっている力「言語の基礎構造」とかけ離れた人工物を無理に頭に入れようとしていたに過ぎない。



4.セルラスは母語の獲得プロセスをそのまま用いている。
 赤ちゃんはどうやって母語を習得するのか。お母さんお父さんその他多くの人々と人間として関わるなかで、その場の音声とその場の状況と対比しながら自分で想像力を働かせて言葉を自ら発見する(いわば創造する)。そして、自分で使ってみて周りの人の反応を見ながら、言葉を手直ししていくのだ。言葉を使い、意思を伝達する必然の場があるからこそ、言葉は習得される。
 文法について一言言うならば、音声言語の中にリズムやメロディーがあり、その中に文法は自然に含まれている。文法はいわば、後付で説明するために人工的に整理したものに過ぎない。母語の習得において、お母さんはお子さんに文法を教えたわけではない。


 人との関わりがないままでは、言語は習得できない。「人と向き合い」「人と一緒に」なるのが大前提だ。
その上で、次の「セルラスの多言語習得三原則」が生きてくる。
①想像力と創造力
②言語音声
③必然性

 今、新しい試みとして、「他己タイム(またはTACOタイム)に取り組んでいる。2人の人で組んで、多言語を用いてお互いに自分のことを相手に伝えて、伝えられた相手がそれを人に紹介する。想像力・創造力をいやが上でも用いた上で何が何でもコミニュケーションを取るための必然の場を作ってみたものだ。
 セルラスは週1回の活動だが、本当は毎日必要だ。週1回というのは、いわばトランス。
電気を送るために電線を持ちいるが、電気の減衰を回復するために要所要所にトランス変電器を設置しているのと同じことだ。


5.多言語が創り出す濃密なクモの巣
 セルラスでは、日本語、英語、さらに中国語、韓国語、スペイン語、ロシア語を同時に学んでいる。さらに、フランス語も加わる予定だ。
これは、下の図のように言語のクモの巣のような基礎構造を、さらに濃密なものに練り上げていくことになる。

この断面図を示せば次のとおり。

 それぞれの言語の背景には、文化・習慣・風俗等がある。これを通した価値観、幅広い視野、柔軟な思考が組み入れられている。
これを「総合的言語能力」と名付けよう。
多様性への対応能力、コミュニケーション力、自分で見つける力を支えるものだ。
すなわち、多様な背景を持つ人々と向き合い、違いを尊重し学びあえる姿勢を育むものとなる。


ニック&アーニャ


【もっと詳しく知りたい方へ】
以下の鈴木理事長講演記録ををぜひご覧ください。
「内なる国際化・多文化共生に向けて」
「権限なきリーダーシップ」
この他、「ニック&アーニャ」「多言語活動」のタグの記事もぜひどうぞ。
以上

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