toranekodoranekoのブログ

クリスチャンブロガーが綴るブログです。
明るい高齢化社会、病から得た様々な宝、世の中の動きへの警鐘(銅鑼)を鳴らすこともあります。
ときどき大阪弁も出てくる聖書物語もお楽しみに。
主催者のほか様々な協力者も登場します。

希望の道しるべ(3月11日に寄せて)

地震、津波、原発。
思いもかけない災害
2011年5月に私は心に留まったいくつかの言葉を書き留めました。
あの時から7年経った今、改めてご紹介します。


 「多くの働く真摯な人間を日本は失ったが、そこに無数の人間の尊厳を見ることができた。他方で、本物を見分ける目は、同時に虚飾に満ちた堕落を見つめる目ともなり、人間のあるべき姿や本物の生き方を見直す機会をも提供する。」(コラム「大機小機」(盤側);2011年4月15日付日経新聞朝刊15面)


 「つまりは純粋な鎮魂の気持ちを、自粛って方向で、ひょいって簡単に解決されちゃうのが面白くねえんだ。なぜ東北の人たちがあんなに死んでオレが生き残ったんだ。何をすればいい、わからない、っていう迷いを持ち続け、ひとりひとりが己なりのやり方を探すのが『悼む』ってことじゃないのかな。」(麿 赤児(舞踏家)「赤子の特権で踊り捧げる」2011年4月23日付朝日新聞13面オピニオン「今こそ歌舞音曲」より)


「あなたが今していること、そしてあなた自身が、やがて後の世代にとって道しるべとなるのです。あなたを見て、希望を持つ人たちがきっと現れるのです。その日はきっと来るのです。」(「マナMANNA」(ディボーションガイド)2011年4月号97頁より)


そしてこれは、その時の私の言葉です。
「私たちひとりひとり、今日一日の自分の務めを忠実に果たすこと。落ち着いて明るく過ごすこと。
いつか、あの災害を乗り越えたという静かな誇りを持つことができる日が来るでしょう。
ひとりひとりの生き様が、世界に伝わる日が来るでしょう。」


今読み返してどのようにお感じでしょうか。私たちは、静かな誇りを持つことができたのでしょうか。
その当時に書き留めていたものを、これから少しずつ紹介して参りたいと考えています。


「ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。
苦労はその日その日に十分あります。」
(マタイの福音書第6章34節:新改訳2017年版)


虎猫

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