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「オウム真理教の精神史」(太田俊寛著)について

オウム真理教の刑事裁判がすべて終結しました。これを機にマスコミなどではいろいろな論説が現れるでしょう。ここで「オウム真理教の精神史」をご紹介します。


「オウム真理教の精神史」


この本では、オウム真理教が突然生まれたものではなく、それまでの様々な思想、「ロマン主義・全体主義・原理主義」に根を持つものであると説きます。諸外国にもまた日本にも、オウム同様のおぞましい集団が過去に幾度もあったこと、これからも起こりうることを示しています。


決して読みやすい本ではありません。しかし論旨は明快です。各所に鋭い洞察があり、拾い読みだけでもいろいろと気づかされることがあると思います。
一か所だけ、全体主義について書かれたところを引用します。


「大都市で生活する群衆は、社会や世界はどのように構成されているか、自分は何者なのかということを、明確に理解できない・・・群衆の意識のなかに芽生えるのは、目に見えるものでは世界を十分に理解することができない、という感覚である。・・・
群衆は、実際に目に見えるものを信じないが、自らを包み込んでくれる不可視の統一的体系を提示されると、いとも簡単にその実在を信じ込んでしまう。」
「ゆえに政治家や運動家は、特定の利害ではなく、ある『世界観』、明確には目に見えないものの、個々人がそこに自らの生の基盤があることを実感し、自我を没入させることができるような『世界観』を提示しようとする。
全体主義とは一言でいえば、孤立化した個々の群衆を特定の世界観のなかにすべて融解させてしまおうとする運動なのである。」
「根無し草としての放恣な自由に疲れ、苦悩を抱える群衆は、その心の奥底では強固な束縛こそを希求しているのである。」(本書114~115頁、117頁より抜粋、一部要約して引用)


静かな夜に、ときにはこのような書物を紐解き、その意味をかみしめてみましょう。


全能の神が、人間に悩み迷うことを許しておられるのには、理由があると思います。
主は、人間が自らの意思を放棄し、特定の世界観へ融解・埋没していくような生き方をお許しにはなりません。自立した意思を持つ者として、自らの意思で神の義と神の道に立ち返るようにと、常に呼びかけておられるのです。


「私たちは、多くの人のように、神のことばに混ぜ物をして売るようなことはせず、誠実な者として、また神から遣わされた者として、神の御前でキリストにあって語るのです。」
(コリント人への手紙第二 第2章第17節:新改訳2017版)


(注)2011年11月に東京カベナント教会ブログ「重荷をおろして」に投稿していたものです。オウム関係の刑事裁判がすべて終結した今、再投稿しました。


虎猫

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