toranekodoranekoのブログ

クリスチャンブロガーが綴るブログです。
明るい高齢化社会、病から得た様々な宝、世の中の動きへの警鐘(銅鑼)を鳴らすこともあります。
ときどき大阪弁も出てくる聖書物語もお楽しみに。
主催者のほか様々な協力者も登場します。

史上最高のキムチ

  虎猫はかつてアマチュアオーケストラに所属していました。
縁があって韓国での演奏旅行に招待されました。


  練習が終わって私たち若者グループ4人ほどで「お腹がすいたな。韓国のカップヌードルを試してみよう。」と街に出かけてみました。
食品店を見つけたので入ってみました。店主は年配の女の方でした。
「ここで食べさせてもらえないだろうか?」と身振り手振りで伝えると、その女の方は笑顔で温かいお湯を持ってきてくれました。
私たちが適当に座り込んで食べていると、その方は一度奥に引っ込み、それから、大きな壷を抱えて出てこられました。そこには自家製と思われるキムチが入っていました。
私たちにそのキムチをふるまってくださったのです。


  キムチを食べ、カップヌードルをすすっていると、その女の方は問わず語りに何かを話を始められたのです。韓国語です。もちろん、私たちには内容はわかりませんでした。
「何の話をされているのだろう。」
「どうも戦争かなにかの話みたいだぞ。」
わからないけれども、一生懸命聞かなければいけない話だということは確かです。
私たちは、時折うなずいたりしながら、話を一生懸命に聞きました。
きっと、辛かった思い出を話されたいのだろう。その時の私たちにできることは、ともかくひたすら聞くことです。不思議なことに、辛い情景、苦しいお気持ちはひしひしと伝わってきたのです。


  やがて食事の時は終わりました。
私たちは相談して「このキムチの代金を払わなければいけない。」と決めました。
それぞれに幾らかの紙幣を出しました。
ところがその方は、「もうカップヌードルの代金はいただいています。」といって受け取ってくださいません。
  それでも幾度もお願いしてようやく受け取ってくださいました。
私たちとしては、キムチをサービスしていただいたこと、そして、ご自身の体験を心から語っていただいたことへの感謝の気持ちだったのです。
言葉がわからなくても人の気持ちは通じ合います。
  私たちにとっての韓国での素晴らしい思い出でした。
その女の方も思いもかけず訪れた日本の若者たちが、一心に話を聞いてくれたことを大切な思い出としてくださるでしょう。


  あの壷から出されたしっかりと味つけされたキムチの味は、今でも忘れられません。
それほどおいしいキムチは、それまでも、それからも食べたことはありません。


(この話は虎猫の体験談ですが、ニック&アーニャさんから多言語活動についてお話を伺っているうちに、思い出したので書き留めました。もう30年ほど前のことですが、生き生きと思い出されました。)


虎猫:聞き手ニック&アーニャ



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