「人事を尽くして天命を待つ」ことの意味
「人事を尽くして天命を待つ。」
よく聞く言葉です。
この言葉の本当の意味は何でしょうか。
例えば、信仰心の厚い人が「すべてを御手に委ねます」という場面を想像します。
「天命を待つ。」ということでしょう。
しかし、その前に「人事を尽くす」ことが必要です。
人事を尽くして、なお、自分の力ではどうしようもないことを、神様に委ねるのです。
自分の信仰をいわば自慢にし頼りにして「必ず主が助けてくださる」と思い込むだけで、人としての最善の努力を果たさないならば、主の助けは来ません。
人事も尽くさず天命を待つのは、ただの怠け者です。
一方で、人事を尽くし最大限努力し、それでもどうしようもなくヘトヘトに疲れ果てているのはいかがなものでしょうか。
自分の力でコントロールできないことなら、いつまでも悩んでも仕方がないのです。
人事を尽くして天命を待てないのは、未練者、愚か者というべきでしょう。
そのような私たちのために主は次のように語りかけておられます。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は私のところに来なさい。
私があなたがたを休ませてあげます。」
新約聖書マタイの福音書第11章第28節
今日を静かに振り返り、自分が最善の努力をしていないなら、明日こそ努力しましょう。
今日を静かに振り返り、自分の力を過信して無理を重ねているならば、静かにすべてを御手に委ねましょう。
「あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。
労苦は、その日その日に十分あります。」
新約聖書マタイの福音書第6章第34節より
虎猫