toranekodoranekoのブログ

虎猫・銅鑼猫など様々なブロガーが参加しているサイトです。クリスチャン、社会保険労務士、多言語活動家、女性キャリア官僚、科学ライター、うるさいばあさんまで、多士済々。お楽しみください。

クリスチャンブロガーが綴るブログです。
明るい高齢化社会、病から得た様々な宝、世の中の動きへの警鐘(銅鑼)を鳴らすこともあります。
ときどき大阪弁も出てくる聖書物語もお楽しみに。
主催者のほか様々な協力者も登場します。

「頑張って」はいけない。

本当につらい思いをしている人に「頑張って」という言葉はどう受け止められるでしょうか。これ以上頑張りようもない人にとって、心を突き刺す刃となりかねません。


私は中学生になった時、母をがんで亡くしました。
そのとき「お母さんは心の中で生きているんだからね。」と言葉をかけられて、泣きました。励ましの言葉に感動したからではなく、あまりの不快さに耐えられなかったからです。


「震災でボランティアが『あなただけでも生き残ってよかったですね。』と声をかけたり、『めそめそしないで。』などと励ましたりして、かえって被災者の心を傷つけてしまう恐れがある。」「善意の押し付けや気の利いた言葉をかけようとするのは控えてほしい。」(大正大学 広川進・準教授(臨床心理学)(日経新聞2011年3月24日朝刊16面「被災者にどう接する」より) 


これは自分が体験した場合でないと、なかなか腑に落ちないかもしれません。
それでも、知識として覚えておくことはできるでしょう。想像力と洞察力を巡らせて理解することはできるでしょう。
「思いやり」は、心情というよりは、むしろ、知識や洞察力の働きだと思います。
知識・洞察力で得たものを、心の優しさというお盆に載せてタンスの中にしまっておき、本当に必要なときにだけそっと差し出す、そのようなものではないでしょうか。


いのちに至る叱責を聞く耳のある者は、知恵のある者の間に宿る。
(旧約聖書箴言第15章第31節)


【注】2011年5月に東京カベナント教会ブログ「重荷をおろして」に投稿していた記事です。いま一度、人としての振舞い方を思い出したくて投稿いたしました。


虎猫

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