絵心のコツ―芸術の秋に寄せて
虎猫が描いたスケッチをお見せすると、よく「私には絵心がありませんから・・」という方がいらっしゃいます。でも、絵心とは何でしょうか?
よく言われることですが、子供は本当にすごい絵を描きます。大人になると、その凄さがなくなって、やがて絵を描くこと自体が少なくなっていきます。
虎猫なりにスケッチ、写生で心掛けている三か条をご参考にお示しします。
1.対象物に心を注ぐ。どう描いてほしいのか?と問いかけてみる。
花を描くなら、その花に語りかけるのです。「お前は、どんな風に描いてほしい?」
じっと耳をすませ、心静かに語りかけを待ちます。そこで、例えば、花びらをしっかり輝かせてほしい、茎をのびやかに描いてほしい、など、花の声が聞こえてきます。
これで構図が決まります。
2.一筆目は、大胆に。
一筆目をこわごわと描いてはいけません。
自分のために描くのではないのです。花のために、花になり代わって描くのです。
「さあどうだ、行くぞ!」気合です。思い切り筆を入れます。
失敗したらどうしよう、と思うから、筆に勢いがなくなるのです。
一筆目が予想外の展開になったらどうするか、それは自分の心ではなく、花が求める一筆だったのです。
その一筆から、改めて花に語りかけ、新しい世界を造っていくのです。
3.できるだけへたくそに描く。
人に見せる、そんなことを考えるから、絵心がなくなるのです。思い切りへたくそに描けばよいのです。
要するに、こだわらずに好きなように描けばよいのです。
絵を描くのは、人間の自然の営みです。原始人、未開人などといわれる人々も、見事な絵を描きます。
文明世界の大人がなぜ絵が描けないのか。文明に心を捻じ曲げられ、人の自然の営みを忘れたからです。もう一度絵を描いてみてください。人のありのままの自然な姿を思い出すためにも、絵を描くことがとても役に立ちます。
なお、人が絵を描いているときには、周りの人は声をかけないように。また覗き込むのもおやめになった方がよいでしょう。文明人としての「プライド」や「恥」など余計なことを思い出してしまい、描く人の心をゆがめてしまうからです。
「野の花がどうして育つのか、よく考えなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
しかし、私はあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装っていませんでした。」
(新約聖書新改訳2017版マタイの福音書第6章第28~29節より)
虎猫