あなたは愛されている
9月3日の朝日新聞朝刊に春名風花さんの「(#withyou~きみとともに~)苦しさ・葛藤、分かるよ 10代の投稿、春名さんと高校生が語らう」という記事が載っていました。いじめについての記事を10代の若者から募集し、17歳の春名風花さんが同じ年代の高校生たちと語り合ったものです。
2012年8月17日朝日新聞朝刊1面に当時小学校6年生だった春名風花さんが『いじめている君へ』と題した記事を掲載されていました。
当時、東京カベナント教会ブログ「重荷をおろして」に掲載した記事を思い出して再掲いたします。
「想像してください。
君があざ笑った子がはじめて立った日、はじめて笑った日、嬉しくて泣いたり笑ったりした人たちの姿を。君がキモいウザいと思った人を、世界中の誰よりも、じぶんの命にかえても、愛している人たちのことを。
そして、その人たちと同じように笑ったり泣いたりして君を育ててきた、君のお父さんやお母さんが、今の君を見てどう思うのか。
それは、君のちっぽけな優越感と引き換えに失ってもいいものなのか。いま一度、考えてみてください。」
朝日新聞が大津のいじめ自殺事件の後、いじめをテーマに各界の著名人が子供たちに語りかける連載を始めました。「いじめられている君へ」「いじめている君へ」「いじめを見ている君へ」という3つの視点から34人の方が語ってこられました。
そして、この春名風花さんが連載の最後に登場しました。
いじめている君たちへの呼びかけです。
引用したのはその最後の部分です。
幾度も読み返しました。忘れてはならないと思って、書き写しました。
私たちが何を忘れても、ただ一つだけ忘れてはならないことがあります。
私たちは一人一人愛されています。
私たちも自らを愛し、大切にしなければいけない。お互いに愛しあわないといけない。
いただいた命こそ、この世界のつくり主から私たちへの最高のプレゼントです。
臆病者とあざ笑われても、卑怯者とののしられても、私たちは生きないといけない。
私たちが仮に自ら死ぬことを許されるとすれば、それは人のために死ぬときです。愛の証として死ぬときだけです。
いじめられている君も、いじめている君も、いじめを見ている君も、ともに等しく愛されています。その愛にどうこたえるのか。
まず、今日一日を大切に過ごすことから始めてみませんか。
虎猫