「やがて来る方にー棕櫚の聖日に寄せて」
2016年3月20日棕櫚の聖日にささげた賛美です。
もともとは、2010年10月、東京カベナント教会の故土屋順一先生の研修休暇明けのメッセージをうかがっているときに、インスピレーションがわいたものです。
はじめは詩として作り、その年の音楽祭に賛美できるように歌詞にアレンジしました。
いつか棕櫚の聖日で賛美することができればと祈り続け、ようやく実現したものです。
2018年3月25日棕櫚の聖日を前に、再投稿いたしました。
故土屋順一先生にお奉げします。
2016年3月20日棕櫚の聖日特別賛美
「やがて来る方に」
曲 グリーグ「ペールギュント」の「ソルベークの歌」
アカペラ(無伴奏)で
その人はやせたロバに乗り、やってきた。
私たちは棕櫚(しゅろ)の葉を振って出迎えた。
ホサナ イスラエルの王よ 救い主
総督ピラトは問うてきた。お前たちは何を望むか。
十字架だ、十字架につけろと、声あげた。
その人は木の枝(え)に釘打たれ、つるされた。
私たちはあざけり罵った。
お前が神の子というなら、降りてみろ、その木から
そのとき世界は闇となり
神殿の幕は裂けとんだ。
その人は墓に姿なく、消えていた。
番兵たちは目をそらし、こう言った。
盗まれた、あいつの弟子たちに。
いま私たちは知っている。
その人は 再び来られたと。
すべてを語られ天に昇り、
またいつか来られることを。
改めてこの詞を読み返し、若干の解説を加えます。
1から3節までは、情景と群衆の声で成り立っています。
群衆は私たち自身の姿です。群衆の声は私たち自身の声です。
イエス様を迎えて歓呼の声をあげますが、2節では罵りの声に、3節では嘲りの声にと変わっていきます。
嘲りが最高潮に達したときに、神殿の幕が裂け落ちます。
至聖所(聖なる神の臨在の場)にキリストの贖いを信ずる人がすべて近づけるようになります。旧約の予言がここに成就します。
当日の賛美ではこのあと少し間をあけました。
イエス様の受難から3日後の復活までの時の経過を示すためです。
その時、会堂の中が静まり返っていました。
イエス様の復活は、番兵達のささやき声で示されます。
祭司たちに言いくるめられ、おどおどしながら嘘をつく姿です。
そして最後の節は私たちの信仰の確信です。復活と再臨の確信です。
私が挨拶して降壇した時に躊躇いがちに拍手が起こり、すぐやみました。
拍手をもって迎えられる曲ではありません。静かに頭を垂れてかみしめていただくことが、この小さな者の願いであり、この者が用いられたことの何よりの証です。
なお、この詞ではイエス様の声は一切でてきません。
群衆の声に押しつぶされ、ほふり場に引かれていく羊のように口を開かないお姿です
イエス様を砕いて痛めることが主の御心でした。虐げとさばきによって取り去られることが主の御心だったのです(イザヤ書第53章7節、8節、10節)。
虎猫