元気おばあさんの力、医学の力、神の力(蓄膿手術体験記第3回 最終回)
手術の翌日からは、毎朝、病棟の中の耳鼻科処置室に通って、診察や治療を受けます。
数人から10人近い患者さんが待合椅子で順番を待ちます。
「痛みはないですか。」
「いえ、私は全然。でも出血が多かったです。溶けるガーゼを使っていただて・・。」
「それはよかったですね。わたしなんか、あまりの痛みに貧血起こしましたよ・・」
こうして順番を待っているとき、点滴棒を持ったおばあさんが来られました。
(点滴をしている時は、キャスター付きの点滴棒に点滴薬をぶら下げています。歩ける人なら、点滴棒を動かして歩けます。杖代わりにもなります)。
私が席を勧めると「いいの。私は立っているほうが楽だから。」
そのまま後ろのほうにいらっしゃいます。
私の前には、車いすのおばあさんがおられました。顔にガーゼ、点滴もたくさん、相当重い方のようです。看護師さんが付き添っておられました。
その看護師さんが、キャ!と声を出すので、私も後ろを振り返ると、なんと、あの点滴棒のおばあさんが、見事なステップでジャズダンス?をしているのです。
点滴棒があります。そもそも点滴をしているのです。そんな激しい動きではありません。それでも実にしなやかな体の運びでした。
看護師さんに問われて答えられます。「ライブに通ってたのよ!」
ふと気がつくと、車いすのおばあさんまで、足でステップを取っていました。
病の中にあってこそ、感謝しなさい、喜んでいなさい。
神様は、薄いお粥を通して、元気おばあさんを通して、私に語られました。
私たち人間の医学は、実際には血を止めることさえできないのです。「止血」とは、「これでもか!これでもか!」とばかりに鼻の穴にガーゼを詰め込み、止血と炎症止めの点滴を行うことでした。体が懸命に血を止めようとしているのを、傍らで応援しているようなものです。サッカー選手がハーフタイムに戻ってきたときに、タオルを渡し、ドリンクを渡している、医学とはそのようなものなのです。
蓄膿の手術は、その病院だけで一日に7、8人、ごくありふれた手術です。それでも、患者さんには、今後の治療方法の検討の参考にしたいと、アンケート用紙が配られました。どんなガーゼをどの程度使うか、ということさえ、まだ完全なものではなく、患者さんの意見を参考にさらに研究を続けたい、ということでした。
私たちの体は、神様から恵まれたものです。自分で勝ち取ったものではありません。
大切に使うこと、疲れれば休養をとること、具合が悪ければ手当てを怠らないこと、これは恵みを授かっている私たちの務めです。そして、医療に従事する人々は、私たちの体の仕組みを探り、よりよきサポーターとなるべく日々努めておられるのです。
いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべてのことにおいて感謝しなさい。
これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
新約聖書テサロニケ人への手紙 第1 第5章16から18節
虎猫